かの九条の民部卿四郎にやおはしけん。侍従大納言成通と申すこそ、よろづの事、能おほくきこえ給ひしか。笛哥詩など、そのきこえおはしていまやううたひ給ふ事、たぐひなき人におはしき。またよりあしにおはすることもむかしもありがたきことになん侍りける。おほかたことにちからいれ給へるさま、ゆゝしくおはしけり。まりも千日かゝずならし給ひけり。いまやうもごばんにご石を百かぞへおきて、うるはしくさうぞくし給ひて、おびなどもとかで、釈迦のみのりはしなどにといふおなじうたを一夜にももかへりかぞへて、百ようたひ給ひなどしけり。むまにのり給ふ事もすぐれておはしけり。白河の御幸に、馬の川にふしたりけるに、くらのうへにすぐにたち給ひて、つゆぬれ給ふところおはせざりけるも、こと人ならば水にこそうちいれられましか。おほかたはやわざをさへならびなくし給ひ ければそりかへりたるくつはきて、かうらんのほこぎのうへあゆみ給ひ、車のまへうしろ、ついぢのうらうへとゞこほるところおはせざりける、あまりにいたらぬくまもおはせざりければ宮内卿有賢ときこえられし人のもとなりける女房に、しのびてよる<さまをやつしてかよひ給ひけるを、さぶらひどもいかなるものゝふの、つぼねへいるにかと思て、うかゞひてあしたにいでんをうちふせんといひ、したくしあへりければ女房いみじくおもひなげきて、れいの日くれにければおはしたりけるに、なく<この次第をかたりければいと<くるしかるまじきことなり。きとかへりこんとていで給ひにけり。女房のいへるごとくにかどゞもさしまはして、さき<”にもにず、きびしげなりければ人なかりけるかたのついぢを、やす<とこえておはしにけり。女房はかくきゝておはしぬれば、またはよもかへり給はじとおもひけるほどに、とばかりありてふくろをてづからもちて、又ついぢをこえてかへりいり給ひにけり。あしたにはこのさぶらひども、いづら<とそゞめきあひたるに、日さしいづるまでいで給はざりければさぶらひどもつえなどもちてうちふせんずるまうけをして、めをつけあへりけるに、ことのほかに日たかくなりて、まづおりえぼうしのさきをさしいだし給ひけり。つぎにかきのすいかんのそでのはしをさしいだされければあはすでにとて、おの<すみやきあへりけるほどに、そのゝちあたらしきくつをさしいだして、えんにおき給ひけり。こはいかにとみるほどに、いときよらかなるなほしに、おりものゝさしぬきゝてあゆみいで給ひければこのさぶらひどもにげまどひ、つちをほりてひざまづきけり。くつをはきてにはにおりて、きたのたいのうしろをあゆみまゐりければつぼね<”たてさわぎけり。中門の廊にのぼり給ひけるに、宮内卿もたゝずみありかれけるが、いそぎいりてさうぞくして、いであひまうされてこはいかなることにかとさわぎければべちのことには侍らず。日ごろ女房のもとへ、とき<”しのびてかよひ侍りつるを、さぶらひのうちふせんと申すよしうけたまはりて、そのおこたり申さんとてなんまゐりつると侍りければ宮内卿おほきにさわぎて、このとがはいかゞあがひ侍るべきと申されければべちの御あがひはべるまじ。かの女房を給はりて、いで侍らんとありければ左右なきことにて御くるまどもの人などは、かちにてかどのとにまうけたりければ、ぐしていで給ひけり。女房さぶらひ、すべていへのうちこぞりて、めづらかなることにてぞ侍りける。からくにゝ江都王など申しけん人も、かくやおはしけむ。おほかたは心わかくなどおはして、 はじめて人のむこにおはせしをりも、てうどのづしかきいだして、呪師のわらはの、御おぼえなるに給ひなどし給ひけり。かんだちめになり給ひても、かもまうでにびりやうにあをすだれかけなどし給ひし、はじめたる事にはあらねども、さやうにこのみ給ひけるなるべし。わかざかりは左中将とて、すきものやさしき殿上人、なだかきにておはしき。五節などには雲のうへ、みなその御まゝなるやうにぞ侍りける。いづれのとしにか。五節に蔵人頭たちのまひ給はざりければ殿上人たちはやみていかにぞやうたうたひ給ひけるに、右兵衛督公行の、まだ別当の兵衛佐など申しけん。その人をおもてにおしたてゝ、成通の中将かくれてうたひ給ひけるを、頭弁うれへ申されたりければそのをりにぞ御かしこまりにて、しばしこもりゐたまへりし。白河院には御いとほしみの人にておはしき。殿上人の中には、たゞひとりいろゆるされておはすとぞきこえ給ひし、雪ふりの御幸に、ひきわたのかりごろもをき給へりとて、心えぬ事におほせらるゝときゝて、資遠とて侍りしけびゐしの、まだわらはにて御まへにも、ちかくつかはせ給ひしに、わび申すよしきかせまゐらせよとの給ひければはかなくうちいだして、なりみちこそひきわたの事、かしこまりて申し候へと申したりければあしよしの御けしきはなくて、まことにきくわいなりとぞ、おほせられける。近衛のすけなどは、かとりうすものなど、はなのいろもみぢのかたなど、そめつけらるべかりけるを、ひきわたのあら<しく、おもほしめしけるにや。讃岐院のくらゐの御とき、十五首の哥人々によませ給ひけるに、述懐といふ題をよみ給ふとて、
しらかはのながれをたのむ心をばたれかはくみてそらにしるべき
とかうぜられけるとき、むしろこぞりて、あはれとおもひあへりけり。なみだぐむ人もありけるとかや。おほかた、哥などもをかしくよみ給ひき。かへるかりのうたに、
こゑせずはいかでしらまし春がすみへだつるそらに帰雁がね
などよみ給へるも、きよらかにきこえ侍り。恋の哥どもゝこひせよとてもむまれざりけり。また、ふる白雪のかたもなくなど、わが心より思ひいだし給へるなるべしときこえていとをかし。詩などもよく心えたまへりけるなるべし。左大弁宰相顕業といふはかせのかたられけるは、詩のことなどは、いはるゝきけばなにがし千里などもつくりたるいふにきこえて、心すむわざになんある。万里といふになりぬれば、またいふにもおよばすなどあるはと、けふありなどぞ侍りける。あまりねなきやすき やうにぞおはしける。鳥羽にて、白河院のやぶさめといふこと御らんじけるに、たきぐちなにがしとかいふもの、いむとしけるに、あにゝにてつはものゝおぼえある家のものにてはべるなるがまとたてはべりけるをみておとうとのいるに、あにのまとたてによるか。いとやさしきことなりとて、なき給ひければ二条帥は行兼かやぶさめいむに、公兼がまとたてん、あはれなるべきことかはとぞ侍りける。またある源氏のむさの、やさしく哥よみあそびなどしけるに、さしぬきのくゝりのせばくみえければおのづからのこともあらば、さは、きとあげんずるかなどいひても涙ぐみ給ひけり。また三井寺に侍りける山ぶしの、ほけうになれりけるとかたらひ給ひても、山ぶしゆかしくは、それがしみよなどいふらんこそ、おほみねのすがた、ゆかしけれなどいひても、うちしぐれ給ひけりときこえ給ひき。やすきこともゝのをほむる心にて、かくなんおはしける。おとうとの按察の大納言重通ときこえ給ひしは、みめなどはにかよひ給へりけるが、いますこしにほひありて、あひつかはしきやうにぞおはしける。いと能などはおはせねども、笙のふえふき、びはひき給ひき。法性寺殿にぞつねはしたしくさぶらはせ給ひけるに殿もこの大納言も、すぎておはするのちなども、なつかしくさとかほるかぞおはしける。にほふ兵部卿かをる大将などおぼえ給ひける成るべし。このふたりの大納言たち、御子もおはせで、みな人の子をぞやしなひ給ひける。