今鏡 - 53 ますみの影

閑院の春宮太夫と申すも、たか松の御はらなり。贈太政大臣よしのぶと申す。白河院の御おほぢ贈皇后宮の御おやにて、まことの御むすめにこそおはしまさねども、いとやんごとなし。このとのは詩などつくらせ給ひけるとて、人のかたり侍りしは、はるにとめる山の月は、かうべにあたりてしろしとぞきこえ侍りし、またわすれ侍らぬ、これはふみを題にてつくり給へるに、呉漢とかいふひとゝぞいひし。ところの名などをも、さすがに、たど<しくなん申しし、また御哥もうけ給はりき。
  くもりなき鏡の光のます<にてらさんかげにかくれざらめや
と白河院の御事を、伊勢大輔よみ侍りける、その御返しとぞきこえ侍りし。白川院ひとつ御はらの御いもうとは、仁和寺の一品宮とて、ちかくまでおはしましき。聡子内親王と申すなるべし。後三条院うせさせ給ひし時、その日御ぐしおろさせ給ひて、仁和寺にすませ給ひき。さておはしましゝかども、としごとに、つかさくらゐなど たまはらせ給ひき。その御おとゝに、伊勢のいつきにておはせし、三品したまへり。俊子内親王ときこえき。ひぐちの斎宮と申すなるべし。つぎにかものいつき、佳子の内親王ときこえ給ひし、御なやみによりて、延久四年七月にまかりいで給ひき。とみの小路の斎院とぞ申すめりし。斎宮はしはすにいで給ひき。そのおとうとにて篤子の内親王と申ししも、みなおなじ御はらからなり。はじめ延久元年、賀茂のいつきにたち給ひて、同五年に院うせさせ給ひしかば、前斎院にておはしましゝに、おばの女院の御ゆづりにて准三后みふなど給はらせ給へりしほどに、堀川のみかどの御とき、きさきにたち給ひき。みかどよりは、御としことのほかにおとなにおはしければよにうたふうたなん侍りけるとかや。春宮太夫殿はまことの御こもおはせねば、三条の内大臣能長のおとゞのをひにおはするをぞ、こにしたてまつり給ひける。まことにはほりかは殿の御子におはす。これも帥殿の御むすめのはらなり。このうちのおとゞの御子は、中納言基長と申ししは、贈三位済政のむすめのはらなり。弾正の尹になり給へりしかば、尹の中納言とぞ申しし。三井寺に僧都とて御子おはすとて、尹の中納言のおとうと、大蔵卿長忠と申すおはしき。母は昭登の親王の女なり。大弁の宰相より、中納言になりておはせしほどに、中納言をたてまつりて、われ大蔵卿になり、子を弁になされ侍りき。石山弁とぞ申すめりし。賀茂にぞかぎりなくつかうまつられし。中納言までなど、夢にみられたりけるとかや。そのこは左少弁能忠と申しし、詩などよくつくり給ひ、心さとき人になんおはしける。わかくてとくうせ給ひにき。少将入道有家ときこえし人のこに、この弁のおなじなつきたるが、わづらひけるほどに、公伊法印といふ人に、いのりをつけたりけるがおなじ名にてとりかへられたるとぞ、よにはいひあへりし。そのとりかへ人は、まだおはすとかや大蔵卿のおとうとに、やまの座主仁豪と申すもおはしき。南勝房とぞ申し侍りし。又律師などいひて、二人ばかりおはしき。また四位の侍従宗信と申すもおはしき。そのこは仁和寺に〓喜僧正とて、東寺長者にてこのころおはすとぞ、尹中納言のおなじはらにおはせし、三条のおとゞの御むすめは、白川の院東宮におはしましゝとき、みやすどころときこえ給ひし、みかどくらゐにつかせ給ひて、延久五年女御の宣旨かうぶり給ひき。道子の女御ときこえき。ひめみやうみたてまつりてのち、内へもまゐり給はずなりにき。承香殿の女御とや申しけん。御むすめの善子の内親王に伊勢にいつきにてくだらせ給ひしに、ぐしたてまつりてぞおはしける。七十にあまりてうせ給ひにき。この女御は、 またなにとかや申すをんなおはしき。春宮の太夫の御おとうとにおなじ高松の御はらの、無動寺の馬頭入道顕信のきみときこえ給ひし、その御名は長襌とぞ申すなる。十八にてこの世をおぼしすてゝ、ひえの山にこもらせ給ひし、たふとくあはれになど申すもおろかなり。むかしの物がたりどもにこまかにはべれは、さのみやはくりかへし申し侍らん。長家の民部卿と申すもやがて高松の御はら也。御哥どもこそうけ給はりしか。にはしろたへの霜とみえつゝなどよみ給へるも、この御哥とこそきゝ侍りしか。この大納言御こ忠家大納言、祐家中納言など申しておはしき。母はみなみのゝかみ基貞のむすめとぞ、大納言の御子にて、もとたゝ、俊忠二人の中納言おはしき。それは經輔の大納言のむすめの御はらなり。俊忠の中納言は、それも哥よみ給ふときこえ給ひき。堀川の院の御とき、をとこ女のふみかはしにもよみ給へるとこそきゝ侍りしか。その中納言の公達は、民部大輔忠成ときこえ給ひし、又俊成三位とてもおはす也。伊与守敦家のむすめのはらとぞ、その三位の御哥も、このころの上手におはすとかや。哥の判などし給ふとこそきゝ侍れ。この三位、さぬきのみかどの御時、殿上人におはしけるが、みかどくらゐおり給ひてのち、院の殿上をし給はざりければ、
  雲ゐよりなれし山ぢを今更にかすみへだてゝなげくはる哉
とよみて、教長の卿につけて、たてまつられ侍りければ御返事はなくて、やがて殿上おほせくだされけるとぞ。撰集にはあやしやなにのくれを待らん。とかやいふ哥ぞいりて侍るなる。そのあにゝ山の大僧正とて、經たふとくよみ給ふおはすなりときこえ給ふ。