今鏡 - 49 唐人の遊び

あぜちの御こにては、備中守實綱といひし、はかせのむすめのはらに、右大臣宗忠のおとゞ又堀川の左のおとゞの御むすめのはらに、太政のおとゞ宗輔など、ちかくまでおはしき。右のおとゞは中御門のおとゞとて、催馬楽の上手におはして、御あそびなどには、つねに拍子とり給ひけり。才学おはして尚歯會とて、としおいたる時の詩つくりのなゝたりあつまりて、ふみつくることおこなひ給ひき。からくにゝては、白楽天ぞ序かきたまひて、おこなひ給ひけり。このくにゝはこれくはへて、みたびになりにけり。からくにゝは、ふたゝびまでまさりたることにきこえ侍りしに、ちかくわたりたるから人の、またのちにおこなひたる、もてわたりたりけるとぞきゝ侍りし。としのおいたるを、上らふにてにはにゐならびて、詩つくりなどあそぶ事にぞはべるなる。このたびは、諸陵頭為康といふおきな一の座にて、そのつぎにこのおとゞ、大納言とておはしけん。いとやさしく侍りし、蔵人頭よりはじめて、殿上人垣下してから人のあそびのごとくこのよのことゝもみえざりけり。おとうとの宗輔のおほきおとゞはふえをぞきはめ給ひける。あまり心ばへふるめきて、この世の人にはたがひたまへりけり。菊や牡丹など、めでたくおほきにつくりたてゝこのみもち、院にもたてまつりなどして、こと<のよのようじなど、いと申し給ふことなかりけり。あまりあしそはやくおはすとて、御ともの人もおひつき申さゞりける。思ひかけぬことには、はちといひて、人さすむしをなんこのみかひ給ひける。かうなるかみなどにみつぬりてささげてありき給へば、いくらともなくとびきてあそびけれど、おほかたつゆさしたてまつることせざりけり。あしだか、つのみじか、はねまだらなんどいふなつけて、よばれければめしにしたがひてきゝしりてなんきつゝ、むれゐける。うへなどいふ人もいとさだめ給はざり けるにや、をさなきめのわらはべをぞあまた御ふところにはふせておはしける。しり給ふところより、なにもてくらんともしり給はで、あづかりたるものなどとりいづることあれば、こはいづくなりつるぞなどいひて、よによろこびたまひけりとぞ、おやは大臣にもなり給はざりしかども、このふたりはたかくいたり給へりき。中御門の右大臣宗忠の御子は、宗能の内大臣ときこえ給ふ。みのゝかみゆきふさのむすめのはらにやおはすらん。大臣もじしたまひて、御ぐしおろして、まだおはすとぞうけたまはる、おとなしき人だにこの世にはおはせず。いかなるにかわかきひとのみ、上達部にもおはするよにやとせにやあまり給ひぬらん。ひとりのこりたまへるとぞ。宰相中将など申ししほど、なほしゆるされておはしけるとかや。さぬきのみかどの御時、御身したしき上達部にもおはせぬに、思かけずなどきこえき。さきの關白かなど、あざける人などもおはしけるとかや。おほかたはことにあきらかに、はか<”しくおはして、御さかしらなども、したまへばなるべし、やすきことなれども、をさなくおはしますみかどなど、つねには五節の帳臺の試みなどにいでさせ給ふことまれなるに、さぬきのみかど、おとなにならせ給ひて、はじめていでさせ給ひしに、御さしぬきは、なにのもんといふことも、をさめどのゝ蔵人、おぼつかなくおもへるに、あられぢにくわんのもんぞかしなど、蔵人の頭におはせし時、の給ひなどして、さやうのことあきらかにおはしき。みかどの御さしぬきたてまつることは、ひとゝせにたゞひとたびぞおはしませば、おぼつかなくおもへるもことわりなるべし。このおとゞもさいばらの上手におはして、御こゑめでたくおはすとぞ、その御子は、贈左大臣長實の御むすめのはらに、中納言とておはすとぞ。右のおとゞの御子は、宗成のさ大弁の宰相とておはしき。又刑部少輔宗重とて、びはひき給ふ人ぞおはしける。何事の侍りけるにか。よる河原にて、はかなくなり給ひにけり。いかなるかたきをもち給へりけるにか。またやましな寺に覚静僧都と申ししも、みなおなじ御はらなるべし。その僧都こそ、すぐれたる智者におはすとうけ給はりしか。のりもよくとき給ふとて、鳥羽院などにても、御講つとめたまひき。むねすけのおほきおとゞの御子は、前中納言兵部卿と申すとかや。ふえもおやの殿ばかりはおはせずやあらん。ふき給ふとぞ申すめる。大宮の右のおとゞのきんだちあまたおはしき。宰相中将諸兼と申ししその御子に、少将おはしき。宰相のおとうとに、基俊の前左衛門佐と申ししは、下野守順業ときこえしむすめのはらにやおはしけん。そのさゑもんの佐は、哥よみ詩つくりにておはすときこえ侍りしが、 さばかりの人の、五位にてやみ給ひにしこそ口をしくあまりすぐれて、人ににぬ事などのけにや有りけん。いはもるし水いくむすびしつなどよみ給へるぞかし。九十ばかりまでおはしき。なゝのおきなにもいり給へりけるとぞきこえ侍りし。山の座主寛慶ときこえしも、大宮のおとゞの御子とぞきこえし。大乗坊とかや申しけん。