今鏡 - 48 絵合の歌

たかつかさ殿の御はらの公だちの御ながれみな申し侍りぬ。たかまつの御はらの、ほりかはの右大臣よりむねのおとゞこそ、関白にはなり給はざりしかども、女御たてまつりなどし給ひ、すゑのきみたちも、ちかくまでくらゐたかくおはする、あまたきこえたまひしが、このおとゞみだうの第二の御子におはす。御はゝは、西宮の左大臣高明のおとゞの御むすめ也。永承二年八月一日、内大臣になり給ふ。御年五十四、大将もとのまゝにかけたまひき。康平三年に右大臣になり給ひき。御とし七十三ときこえき。和哥のみちむかしにはぢずおはしき。哥よみは貫之かねもり、ほりかはのおほい殿、千載の一過とかやある人申し侍りけると申しいだしたる、人はえきゝはべらず。御集にもすぐれたる哥おほくきこえ、撰集にもあまだいり給へり。いたく人のくちならし侍御哥は、はなもみぢたなばた千鳥など、かずしらずきこえ侍るめり。中にも恋のうたは、いたく人のくちずさびにもし侍る、おほくよみ給へりき。こひはうらなしなどよみ給へるぞかし。この御哥のさまは、 めづらしき心をさきにし給へるなるべし。帥のうちのおとゞの御むすめのはらに、君だちあまたおはしき。後朱雀院の御時、女御にたてまつり給へりし、れいけいでんの女御と申すなるべし。みかどかくれさせ給ひてのち、さとにまかりいで給へりけるに、うゑおき給へりけるはぎを、またのとしの秋、人のをりて侍りけるをみ給ひて、よみ給ひける、
  こぞよりも色こそこけれはぎの花涙の雨のかゝる秋には
その女御のうみたてまつり給へりけるひめ宮、かものいつきときこえ給ひき。このみやえあはせし給ひしに、卯の花さけるたまがはのさとゝ、相模がよめるはなだかき哥にはべるめり。三のきみは後三条院の春宮と申ししとき、みやすどころにまゐり給へりき。このおとゞの太郎にては、兼頼中納言おはしき。御はゝは、女御のひとつ御はらなり。いとすゑのはか<”しきもおはせぬなるべし。つぎには右大臣としいへのおとゞ、大宮の右のおとゞときこえ給ひき。この御すゑおほくさかえさせ給ふめり。その御子は宗俊の大納言、御母は宇治大納言隆國のむすめ也。管絃のみちすぐれておはしましける、時光といふ笙のふえふきにならひ給ひけるに、大食調の入調をいま<とて、としへてをしへ申さゞりけるほどに、あめかぎりなくふりて、くらやみしげかりける夜いできて、こよひかのものをしへたてまつらんと申しければ、よろこびてとくとの給ひけるを、とのゝうちにてはおのづからきく人も侍らん。大極殿へわたらせ給へといひければさらにうしなどとりよせておはしけるに、御ともには人侍らでありなん。時光ひとりとて、みのかさきてなん有りける。大極殿におはしたるに、なほおぼつかなくはべりとて、ついまつとりて、さらに火ともしてみければはしらにみのきたるものゝたちそひたる有りけり。かれはたれぞと、とひければ武能となのりければさればこそとてその夜はをしへ申さで、かへりにけりと申す人もありき。またかばかり心ざし有りとて、をしへけりともきこえ侍りき。それはひが事にや侍りけん。かの武能もそのみちの上手なりけるに、たれにかおはしけん。一の人のたれにならひたるぞととはせ給ひければ道のものにもあらぬ法師とかよくならひたるものありけるになん、つたへてはべるなど申しければ猶時光がでしになるべきなりとおほせうけ給はりて、みやうぶかきてかれがいへにいたりて、それがしまゐりたりといはせければいどみて、としごろかやうにもみえぬものとて、おどろきてよびいれければ時光ははなちいでに、ふえつくろひてゐたりけるに、たけよし庭にゐてのぼらざりければそでのはたをひきて、のぼせていかにとゝひければとのゝおほせにて、 御弟子にまゐりたるなりといへば、いと心ゆきて、なにをかならひ給ふべきといふに、大食調の入調なん、まだしらぬものにてうけ給はらんと、思たまふなどいふに、けしきかはりて、太郎子に侍りける公里がまへなりけるを、このわらはにをしへ侍りてのちにこそこと人にはさづけたてまつらめ。これはたちまちにおぼしよるまじきことゝいひければこのきみつたへられんこと、たちまちのことにあらじとて、みやうぶとりかへして、かへりいでゝとしへけるのち、心ふかくうかゞひて、きかんとするなりけり。昔の物のしは、かくなん心ふかくて、たはやすくもさづけざりける。その大納言はさやうにみちをたしなみて、やんごとなくなんおはしける。