今鏡 - 47 故郷の花の色

おほとのゝ僧公達には、山には理智房の座主と申して、をとこ公達よりあにゝおはしけるなるべし。ならには覚信大僧正、三井寺には、白河の僧正増智とて、さぬきのみかどの護持僧におはしき。たゞのりの大納言の、ひとつはらとぞきこえ給ふ。徳大寺の法眼と申ししは、花山院の左のおとゞの、ひとつはらにおはす。心のきゝ給へるにや。法金剛院の、いしたてなどにめされて、まゐり給ひけるとかや。梵字などもよくかき給ふとぞきこえ給ひし。ならに玄覚僧正と申ししもおはしき。うせ給ひしほどに、仁和寺の寛運とかいひし人、みずほうの賞に、僧都になりし、いかなりしことにか。たれが御つかひとかやとて、ひごとに、みてぐらたてまつらるゝことありと、きこしめしたりけるとかや。二条殿の御時にも範俊とかやきこえし、鳥羽の僧正、はやしの中に、しのびてたてられたる。丈六の明王のみだうにて、みずほうおこなはるなど、きこえ侍りし。これらよしなきことに侍り。山の座主行玄大僧正ときこえ給ひしは、やんごとなき真言師にて、とばの院佛のごとくにおもほし給ふときこえき。三昧のあざり良祐といひしやんごとなき 真言師に、こまかにつたへならひ給ひて、心ばへふるまひありがたく、僧のあらまほしきさまにて、さる人まだいできがたくなんおはしける。尊勝陀羅尼の御導師におはしけるに、ひぐらしあることなれば僧膳などいふこともあり。又おのづからたち給ふことなどありけるに、御あふぎのうへに、五鈷おきて、わが御かはりに、とゞめ給ひけるなどをも、いと心にくゝよしありて、めもあやにぞおもひあへりける。鳥羽院御ぐしおろさせ給ひしとしにや侍りけん。七月ばかりより、御わらはやみ、大事におはしまして、月ごろわづらはせ給ひしに、さま<”の御いのりせさせ給はぬ事なく、かた<”より御いのりしつゝたてまつり給ひ、げんざとて、三井寺の覚宗などいふそうたち、うちかはりつゝまゐりても、おこらせ給ひて、あさましくきこえ侍りしに、げんざなどし給ふさまにはおはせねど、この座主のまゐり給ひて、いのりたてまつり給ひけるにこそ、かひ<”しくおこたらせ給ひにければまたのちにも、ほどへておこらせ給へりけるにもたび<やめたてまつり給ひけるとこそきこえ侍りしか。かやうのげんざには、山ぶしをのみたのもしきものにはおもひあへるに、まことしきことは、このたびぞみえ侍りける。山しなでらの尋範僧正と申すぞ、ひとりのこり給ひてこのころおはする。それはもろかたの弁のむすめのはらにや。ならにはきよきそうもかたきをいとたふとき人にぞおはしますめる。和哥こそよくよみ給ふなめれときこえ侍りしか、
  やどもやと花も昔にゝほへどもぬしなき色はさびしかりけり
とよみ給ふ。ことばもいひなれ、すがたもよみすまされ侍る。近院の大臣の、河原院にてよみたまへるうた、
  うちつけにさびしくもあるか紅葉ゝのぬしなきやどは色なかりけり
といふ御うたの心なるものから、よみかへられて、いとやさしくきこえ侍る。又範永が、月のひかりもさびしかりけり。といふ哥の心なれども、それにもかはりて侍り。おなじ御はらのあにゝて寺の仁證法印とてもおはしき。猶僧公だちは、あし法眼など申すもおはしき。またてらに法印など申すも、おほかたをとこぎみ、十五六人ばかりやおはしましけん。