常陸介實宗ときこえし人、くすしにたづぬべきことありて、雅忠がもとにゆけりけるに、しばしとて、障子のほかにすゑたりけるに、まらうどきやうようしけるあひだに、かどよりいりくるやまひ人を、かねてかほけしきをみて、これはそのやまひをとひにくるものなりといひて、たづぬればまことにしかありけり。そのなかに、みぐるしきこともあり。をかしきこともありて、えいひやらねば、みな心えたりなどいひて、つくろふべきやうなどいひつゝ、あへしらへやりけるに、まらうとは有行なりけり。いへあるじさかづきとりたるを、とくそのみきめせ。たゝいまゆゝしきなゐのふらんずれば、うちこぼしてんずといふに、さしもやはとやおもひけん。いそがぬほどに、なゐおびたゝしくふりて、はたとひとしきさけを、うちこぼしてけり。あさましきことどもきゝたりとぞ、かたりける。 中比笙のふえの師にて、市佑時光ときこえしが、いづれの御時にか。うちよりめしけるに、おなじやうに老いたるものとふたりごうちて、哥うたふやうによりあはせて、おほかたきゝもいれず、御かへりも申さゞりければ御つかひあざけりて、かへりまゐりて、かくなん侍るとうれへ申しければいましめはなくて、おほせられけるは、いとあはれなることかな。しやうかしすまして、よろづわすれたるにこそあんなれ。みかどのくらゐこそ、くちをしけれ、さるめでたきことを、ゆきてもえきかぬとぞ、のたまはせける。用光といひしひちりきの師と、ふたり裹頭楽をさうかにしけるとぞ、のちにきこえける、そのもちみつが、すまひのつかひにゝしのくにへくだりけるに、きいの國のほどにてや。おきつしらなみたちきて、こゝにて、いのちもたえぬべくみえければ、からかぶりうるはしくして、やかたのうへに出てをりけるに、しらなみのふねこぎよせければその時もちみつひちりきとりいだして、うらみたるこゑに、えならずふきすましたりければしらなみども、おの<かなしびの心おこりて、かづけものをさへして、こぎはなれてさりにけりとなん。さほどのことわりもなきものゝふさへ、なさけかくばかりふきゝかせけんもありがたく、 又むかしのしらなみは、なほかゝるなさけなんありける。 いとやさしくきこえ侍りしことは、いづれの御時にかはべりけん。なかごろのきさき上東門院、陽明門院などにやおはしけん。ちかきよのみかどの御とき、めづらしくうちにいらせ給へりける時、月のあかく侍りける夜、むかしはかやうにはべる夜は、殿上人あそびなどこそうちわたりはし侍りしか。さやうなることも侍らぬこそ、くちをしくなど申させ給ひければいとはづかしくおぼしめしけるほどに、月の夜めでたきに、りん<としてこほりしきといふうた、いとはなやかなる聲して、うたひけるが、なべてなくきこえけるに、又いといたくしみたる聲のたふときにて、無量義經の微啼まづおちて、などいふところをうちいでゝよまれ侍りけるが、いづれも<とり<”に、めでたくきこえければむかしもかばかりのことこそ、えきゝ侍らざりしか。いというなるものどもこそ侍りけれど、申させ給ひけるにこそ、御あせもかわかせ給ひて、御心もひろごらせたまひにけれときゝ侍りし。後冷泉院の御時、上東門院などいらせ給へりけるにや。又その人々は伊家の弁、敦家の中相などにやおはしけんとぞ、人は申し侍りし。ひがことにや。又能因法師、月あかく侍りける夜、いたゐにむかひて、ひさしのふきいた、所々とりのけさせて、月やどしてみ侍りけるに、かどたゝくおとし侍りければ女ごゑにて、とひ侍りけるに、うちより勅使のわたらせ給へるなりとめぶといふものゝまうしければかどひらきていづみのもとに、御つかひの蔵人いれ侍りけるに、おほせごとになん。月のうたのすぐれたるは、いづれかあるとおほせはべりつれば、にはかに馬つかさの御馬めして、いそぎたいめんするよしなど、たれにか有りけん。そのときの蔵人の申し侍りければ、
月よゝしよゝしと人につげやらばこてふにゝたりまたずしもあらず
といふうたをなむ申しけるが、おなじ御ときのことにや侍りけん。たしかにもきゝ侍らざりき。