今鏡 - 76 まことの道

大内記のひじりは、やんごとなきはかせにてふみつくるみちたぐひすくなくて、よにつかへけれど、心はひとへに、ほとけのみちにふかくそみて、あはれびの心のみありければ大内記にて、しるすべきことありて、もよほされてうちにまゐれりけるに、左衛門の陣などのかたにや。女のなきてたてるがありけるを、なにごとのあれば、かくはなくぞととひければあるじのつかひにて、いしのおびを人にかりてもてまかりつるが、みちにおとして侍れば、あるじにも、おもくいましめられんずらむ。さばかりのものをうしなひつる、あさましくかなしくて、かへる空もなければおもひやるかたもなくて、それをなき侍るなりと申しければ心のうちおしはかるに、まことにさぞかなしからんとて、わがさしたるおびをときて、とらせたりければもとのおびにはあらねども、むなしくうしなひて、申すかたなからんよりも、おのづからつみもよろしくや侍とて、これをもてまからんずるうれしさと、てをすりて、とりてまかりにけり。さてかたすみにおびもなくて、かくれゐたりけるほどに、ことはじまりければおそし<ともよほされて、みくらのことねりとかゞ、帯をかりてぞ公事はつとめられ侍りける。池亭の記とてかゝれたるふみにも、身は朝にありて、心は隠にありとぞ侍るなる、中務の宮の、ものならひ給ひけるにも、ふみすこしをしへたてまつりては、目をとぢて、ほとけをねんじたてまつりてぞおこたらずつとめ給ひける。かくてとしをわたりけるほどに、としたけてぞかしらおろして、よかはにのぼりて法文ならひ給ひけるに、増賀ひじりの、まだよかはにすみたまひけるほどにて、止観の明静なること、前代にいまだきかずと、よみ給ひける、この入道、たゞなきになきければひじりかくやはいつしかなくべきとて、こぶしをにぎりて、うちたまひければわれも人も、ことにがりて、たちにけり。又ほどへて、さてもやは侍るべき。かのふみうけたてまつりはべらんと申しければ又さきのごとくになきければまたはしたなく、さいなみければのちのことばもえきかですぐるほどに、又こりずまに、御けしきとり給ひければ又さらによみ給ふにも、おなじやうにいとゞなきをりければこそ、ひじりもなみだこぼして、まことにふかきみのりのたふとくおぼゆるにこそとて、あはれがりて、そのふみしづかにさづけたまひけれ。さてやんごとなく侍りければ、御堂の入道殿も、御戒などうけさせ給ひて、ひじりみまかりにけるときは、御諷誦などせさせ給ひて、さらしぬのもゝむら給ひける、うけぶみ には、参河のひじりたてまつりて、秀句などかきとゞめ給ふなり。   昔隋煬帝の智者にほうぜし千僧ひとつをあまし、今左丞相の寂公とぶらふさらし布もゝちにみてり とぞかゝれはべりける。そのみかはのひじりも、はかせにおはして、大江のうぢの、かんだちめの子に、おはしけるが、みかはのかみになりて、くにへくだり給ひけるに、たぐひなくおぼえける女を、ぐしておはしけるほどに、女みまかりにければ、かなしびのあまりにとりすつることもせで、なりまかるさまをみて、心をおこしてやがてかしらおろして、みやこにのぼりて物などこひありきけるに、もとのめにてありける女、われをすてたりしむくいに、かゝれとこそ思ひしに、かくみなしたることなど申しければ御とくに仏になりなんことゝて手をすりてよろこびけると、つたへかたり侍る。さて内記のひじりを師にし給ひて、ひんがし山の、如意寺におはし、よかはにのぼりても、源信僧都などに、ふかきみのりのこゝろくみしり給ひて、惟仲の平中納言の北白川にて六十巻かうじ給ひけるには、覚運僧都まだ内供におはしけるとき、講師せさせ給へり。このみかはの入道は讀師とかやにてこそは、法花經の心ときあらはせるふみも、點じしたゝめて、そこばくの聴衆どもゐなみて、おの<よみしたゝめられ侍りけり。かくてのちにぞ山三井寺の僧たちも、やすらかによみつたへ給ふなる。つひにからくにゝおはしても、いひしらぬことゞもおはしければ大師の御名え給ひて、円通大師とこそきこえ給ふめれ。かくれ給ひけるに、仏むかへ給ひ、楽のおときこえければそれにも詩つくり、哥よみなどし給ひたるも、もろこしよりおくりはべりける。
  笙謌はるかにきこゆ孤雲のうへ、聖衆来迎す落日のまへ、 とつくり給へり。哥は、
  雲のうへにはるかにがくのおとす也人やきくらんひが聞かもし
とよみたまへりけるとぞきこえ侍りし。 又少納言統理ときこえし人、としごろも世をそむく心やありけむ。月のくまなく侍りけるに、心をすまして、山ふかくたづねいらん心ざしのせちにもよほしければまづ家に、ゆするまうけよ。いでんといひて、かしらあらひて、けづりほしなどしけるを、めなりける女も心えて、さめ<”となきをりけれど、かたみにとかくいふことはなくて、あくる日うるはしきよそひして、一の人の御もとにまうでゝ、山里にまかりこもるべきよしの、 いとま申しけれど、人も申しつがざりけるを、しひ申しければきゝ給ひて、少納言こなたへとて、いであひ給ひて、御ずゞたびて、のちのよはたのむぞなど侍りければずゞをばをさめて、はいしたてまつりて、増賀ひじりのむろにいたりて、かしらおろしたりけれど、つとめおこなふこともなくて、もの思ひたるすがたなりければひじりさる心にてはしたなく侍りければうみ侍べき月にあたりける女の侍ることの、思ひすて侍れど、いぶせく思ひたまへてなどいふを、ひじりみやこにいそぎいでゝ、その家におはしたりければえうみやらで、なやみけるを、ひじりいのり給ひて、うませなどして、人にまめなるものなどこひ給ひて、くるまにつみて、うぶやしなひまでし給ひけり。そのむねまさに、三条院より、哥の御かへし給はりける、
  忘られず思ひ出でつゝやま人をしかこひしくぞわれもながむる
と侍りけるに、なみだのごひはべりければ春宮より、哥たまはりたらんは、仏にやはなるべきと、ひじりはぢしめ給ひけるとかや。たてまつりたる哥も、あはれにきこえ侍りき。
  きみに人なれなゝらひそ奥山にいりての後も侘しかりける
とぞよみてたてまつりける。 公經とかきこえしてかき、ことよろしきくにのつかさになりたらば、寺などもつくらんとおもひしを、河内といふ、あやしき國になりたればかひなし。ふる寺などをこそは、修理せめと思て、見ありきけるに、あるふる寺の、仏のざのしたに、ふみのみえけるをひらきてみければ沙門公經とかきたるふみに、こんよにこの国のつかさになりて、この寺修理せんといふ願たてたるふみ見てぞしかるべきちぎりなりけりといひける。かきたるもじのさまなども、にたるてになんありける。ふしみのすりのかみのやうに、おなじ昔の名をつける成るべし。 大外記定俊といひしが、越中のかみになりて侍りけるに、国のものは、思ふさまにえけれども、國の人のないがしろにおもへるを、あやしみ思て、ねたりける夜のゆめに、むかしこのくにゝ、めくらきひじりの持經者にて有りけるが、むまれて、かくはなりたるぞ。人のあなづらはしく思へるは昔のなごりなるべし。そのひじり、さきのよにかのくにのうしなりける時、法花經一部をおひて、山でらにのぼりたりしゆゑに、持經者になれりしが、このたびはくにのかみとなりて、いろのくろきもそのなごりなりとぞみたり ける。むかしのなごりにや。すゑには法師になりて、え文のかたにこもりゐて、おこなひけるとぞきこえ侍りし。そのこにて、信俊ときこえしも、身はよにつかへながら、仏の道をのみいとなみて、老いのゝちには、かしらおろしなどして、かぎりの時にのぞみては、みづから肥後入道往したりと、いひあはんずらむなど申して、たふとくてうせにけるに、かうばしきにほひありけるなど、きこえ侍りき。