今鏡 - 75 唐歌

一條院は御心ばへも、御のうも、すぐれておはしましけるうへに、しかるべきにや侍りけん。かんだちめ、殿上人、みち<のはかせ、たけきものゝふまでよにありがたき人のみおほく侍りけるころになん、おはしましける。つねは春風秋月のをりふしにつけつゝ、はなのこずゑをわたり、池の水にうかぶをすぐさず、もてあそばせたまひけるに、御をぢの中務宮、はじめてそのむしろにまゐり給へりけるに、ならはせたまはぬ御ありさまに、御かうぶりのひたひも、つむる心ちせさせ給ふ。御おびも御したうづも、いぶせくのみおぼえさせ給ひけるに、御あそびはじまりて、藤民部卿四条大納言、源大納言、侍従大納言などいふ人たち、周の文王のくるまのみぎにのせたるなどいふ詩の序、以言ときこえしはかせのつくりたる、詠じ給ひけるにぞ御この御かうぶりも、御よそひも、くつろぐやうにおぼえさせ給ひて、おもしろくすずしくおぼえさせたまひける。かの村上の中務宮、ふみつくらせ給ふみちなど、すぐれておはしましければ齋名以言などいふはかせ、つねにまゐりて、ふみつくらせ給ふ。御ともになむありける。大内記保胤とて、なかにすぐれたるはかせ、御師にて、文はならはせ給ひける。そのやすたねはこれらがふみつくる。えたるところ得ぬ所のありさま、とはせ給ひければこたへ申しけることこそ、からのことのはゝしらぬことなれど、おもしろくきこえ侍りしか。いづれも<、とり<”に侍るをたとひにて 申し侍らんとて、齋名がふみつくり侍さまは、月のさえたるに、なかばふりたるひはだぶきの家の、みすところ<”はづれたるうちに、女のしやうのことひきすましたるやうになん侍。以言詩は、すなこしろくちらしたるにはのうへに、さくらの花ちりしきたるに、陵王のまひたるになんにてぞ侍。匡衡がやうは、ものゝふのあけのかはして、ひをどしとかはしたるきて、えならぬこまのあしときにのりて、あふさかのせきをこゆるけしきなりとぞ申しける。さて宮そこはいかゞとおほせられければすでにびりやうげにのり侍りにたりとぞ、申し侍りけるとなむ。 かの齋信の藤民部卿、たかつかさどのゝ屏風の詩、えらびたてまつられけるに、日野の三位の詩おほくいりたりけるを、義忠といひし、贈宰将の難じて、いろのいと、ことばつゞりて、春風にまかせたりといへる、いとゝいふ文字、平聲にあらず。ひがことなりと申すときゝて、民部卿文集の詩の句の、うるはしきことばゝいろのいとをつゞれりといへるをかんがへてたてまつられたりければ宇治のおほきおとゞ、むづからせ給ひて、いかにかゝるひがなんをば申しけるぞとて、勘當せさせ給ひて、あくるとしまでゆるさせ給はざりければ義忠の三位女房につけてたてまつりける、
  あをやぎの色のいとにや結びてしうれへはとけではるぞくれぬる
とぞきゝ侍りし。よればほどけでとかけるもあり。いづれかまことにて侍らん。 むかしの御つぼねのおやにておはせし越後守の、あがためしに淡路になりていとからくおぼして、女房につけて、そうし給ひけるふみに、昔学の寒夜に、紅涙襟をうるほし、除目の春朝蒼天まなこにあり。とかき給へりけるを、一条のみかど御らんじて、よるのおとゞにいらせ給ひて、ひきかづきてふさせ給ひけるを、御堂殿まゐらせ給ひて、いかにかくはとゝはせ給ひければ女房の為時がたてまつりて侍つるふみを御らんじて御とのごもらせ給へるよし申しければいとふびんなることかなとて、國盛といひしをめして、越前になしたびたるをかへしたてまつるよしのふみかきて、たてまつれとて、為時を越前になさせ給へりしにぞみかどの御心ゆかせ給ひて、こまうどゝ、ふみつくりかはさせんと、おぼしめしつる御けしきありけるにあはせて、こしにくだりて、から人とふみつくりかはされける。
  去國三年孤舘月帰程万里片帆風
  畫鼓雷奔天不雨綵旗雲聳地生風
などぞきこえ侍りし。