今鏡 - 73 あしたづ

いまの世のことは、人にぞとひたてまつるべきを、よしなきこと申しつゞけ侍るになんなどいへば、さらばむかしがたりも、猶いかなる事かきゝ給ひし。かたり給へといふに、おのづから見きゝ侍りしことも、ことのつゞきにこそ、おもひいで侍れ。かつはきゝ給へりしことも、たしかにもおぼえ侍らず。つたへうけ給はりしことも、おもひ出るにしたがひて、申し侍りなん。かたちこそ人の御らんじ所なくとも、いにしへのかゞみとは、などかなり侍らざらむとて、むかし清和のみかどの御とき、かた<”おほくおはしけるなかに、ひとりのみやす所の、太上法皇かくれさせ給へりけるとき、御經供養して、ほとけのみち、とぶらひたてまつられけるに、みのりかきたまへりける、しきしのいろの、ゆふべのそらのうす雲などのやうに、すみぞめなりければ人々あやしくおもひけるに、むかし給はりたまへりける、御ふみどもをしきしにすぎて、みのりのれうしに、なされたりけるなりけり。それよりぞ、おほくしきしの經は、よにつたはれりけるとなん。かきとゞめられたるふみなども侍らんものを、たちばなのうぢ、贈中納言ときこえ侍りし、宰相の日記にぞ、この事は かゝれたるときこえ侍りし。 村上の御時、枇杷の大納言延光、蔵人頭にて御おぼえにおはしけるに、すこし御けしきたがひたることもおはせで、すぎ給ひけるに、心よからぬ御けしきのみえければあやしくおそれおぼして、こもりゐ給へりけるほどに、めしありければいそぎまゐりておはしけるに、としごろはおろかならず、たのみてすぐしつるに、くちをしきことは、藤原雅村といふ学生の、つくりたるふみのいとほしみあるべかりけるをば、など蔵人になるべきよしをば、そうせざりけるぞ。いとたのむかひなくとおほせられければことわり申す限りなくて、やがておほせくだされけるに、みくらのことねり、家をたづねてかねて、かよふ所ありときゝて、その所にいたりて、蔵人になりたるよしつげゝれば、そのいへあるじのむすめのをとこ、所の雜色なりけるが、蔵人にのぞみかけゝるをりふしにて、わがなりぬるとよろこびて、禄など饗應せむれうに、にはかにしたしきゆかりどもよびて、いとなみけるほどに、ことねり、雜色どのにはおはせず。秀才殿のならせ給へるなりといひければあやしくなりて、いへあるじいかなることぞとたづねけるに、ざうしきがめの、あねかおとうとかなる女房のまかなひなどしけるを、この秀才しのびてかよひつゝ、つぼねにすみわたりけるを、かゝる人こそおはすれと、いへの女どもいひければよもそれは蔵人になるべきものにはあらじ。ひがことならむといひければ、ことねり、その人なりといひければ雜色もいへあるじも、はぢがましくなりて、かゝるものかよふより、かゝることはいでくるぞとて、よのうちに、そのつぼねのしのびづまを、おひ出だしてけり。そのことをいかでかくものうへまできこしめしつゞけゝむ。いとをしきことかな。さてはいでつかうまつらんに、よそひのしかるべきもかなひがたくやあらんとて、くらつかさにおほせられて、くらのかみとゝのへて、さま<”のあまのは衣たまはりてぞまゐりつかへける。そのつくりたる詩は、釈尊とかに、つるこゝのつのさはになく。といふ題の序を、かきたりけるとぞ。ことばをばえおぼえず。その心は、めぐりかけらんことを、よもぎがしまにのぞめば、かすみのそで、いまだあはず。ひく人やあると、あさぢがやまにおもへば、しものうはげ、いたづらにおいにたりといふ心なり。又むらかみのみかど、かの大納言に、われなからんよに、わすれず、思いださんずらむやなど、のたまはせければいかでかつゆわすれまゐらせ侍らんと、こたへ申されけるを、をりふしにはおもひいだすとも、いかでかつねにはわすれざらむとおほせられければ、御ぶくをぬぎ侍らで、 このよをおくり侍らんずれば、かはらぬたもとの色に侍らば、わすれまいらすまじきつまには侍べきとそうし給ふ。まことにその契りにたがはず、おはしければのちのみかどの御時も、色ながらことにしたがひ給ひけるを御らんじて、御涙もおさへあへず、かなしませ給ひけるとぞ。かの大納言の夢に、先帝をみたてまつりて、つくり給へる詩、きこえ侍りき。夢のうちに、もしゆめのうちのことをしらましかば、たとひこの生をおくるとも、はやくはさめざらまし。とぞおぼえ侍。夢としりせばさめざらましを、といふ哥のおなじ心なるべし。