今鏡 - 67 藻塩の煙

二条のみかどの御時、ちかくさぶらひ給ひてかうのきみとかきこえ給ひしはことの外にときめき給ふときこえ給ひしかば、ないしのかみになり給へりしにやありけん。たゞまたかうの殿など申すにや。よくもえうけ給はりさだめざりき。それこそは、六条殿の御子の季房のたんばの守のこに、太夫とか申して、いせにこもりゐたまへる御むすめときこえ給ひしか。かの御時、女御きさき、かた<”うちつゞきおほくきこえ給ひしに、御心のはなにて一時のみさかりすくなくきこえしに、これぞときはにきこえ給ひて家をさへにつくりて給はり、よにもゝてあつかふほどにきこえ給ひて、みかどの御なやみにさへ、とがおひ給ひしぞかし。御めのとの大納言の三位なども、いたくなまゐり給ひそなど侍りけるにや。あるをりはつねにもさぶらひたまはずなどありけるとかや。かつは御おぼえの事など、いのりすぐし給へるかたもきこえけるにや。かつはきゝにくゝもきこえけるとぞ。おもらせたまひけるほどに、としわかき人なれば、おはしまさゞらんには、いかにもあらんずらん。御せうそこども、かへしまゐらせよとありければ、 なく<とりつかねてまゐらせければ信保などいふ人うけ給はりて、かきあつめさせたまへる、もしほのけぶりとなりけむも、いかにかなしくおぼしけん。御ぐしのたけにあまり給へりけるも、そぎおろさばやとぞきこえけれど、心づよき事かたくて月日へけるほどに、御心ならずもやありけん。むかしにはあらぬことゞもいできて、わかき上達部の、時にあひたるところにこそ、むかへられ給ひてと、きこえ侍るめれ。めし返させ給ひけん、やんごとなきみづぐきのあとも、いまやおぼしあはすらん。いとかしこくこそ。 六条のおとゞいとあさましく、すゑひろくおはします。昔よりふぢなみのながれこそ、みかどの御おほぢにては、うちつゞき給へるに、ほりかはの院の御おほぢに、めづらしくかくすゑさへひろごらせたまへる一の人の御おほぢに、うちつゞきておはしますめり。六条殿の御むすめは、ほりかはの院の御時、承香殿と申しけるは、女御のせんじなどはなかりけるにや。だいごにおはすときこえしちかくうけ給ひにき。ほりかはどの、六条どのゝ御おとうとに、中宮太夫師忠の大納言おはしき。その御はゝは、ほりかはのよりむねの右のおとゞの御むすめなり。この大納言の御こは、左馬頭師澄とて、千日のかうひさしくおこなひ給ひて、のちは大蔵卿と申しき。その御おとうとは、師親の四位の侍従など申しておはしき。又大納言の御こには、仁和寺の大僧正寛遍と申すおはしき。備中の守まさなかのむすめのはらにやおはしけん。たかまつの院の中宮とて、御ぐしおろさせ給ひし、かいの師におはしけり。東寺の長者にて、ちかくうせたまひにけり。中宮太夫の御おとうと廣綱とておはしき。四位までやのぼり給ひけん。摂津の守など申しゝにや。又ほりかは殿などのおなじはらにやおはしけん。仁覚大僧正と申しし、山の座主おはしき。それは中宮の太夫のあにゝやおはしけん。またことはらに、やましなでらの實覚僧正など申しておはしき。荘厳院の僧都と申ししなるべし。