今鏡 - 65 新枕

このおとゞの御子は、大納言顕通と申してちゝおとゞよりもさきにうせ給ひにき。その御子は、いまの内大臣まさみちの大将と申すなるべし。この大将の御はゝは、よしとしの治部卿のむすめにやおはすらん。又この御あにに、つのかみ廣綱のむすめのはらに、やまのざす明雲権僧正とて、いまだおはすなるこそ、よのすゑには、かやうなる天台座主はおはしがたくうけ給はれ。わがみちの法文をも、ふかくまなび給ふ。かた<”よにたふとくて、御心ばへもおもくおはするにや。山のうへこぞりて、もちゐたてまつりたるとかや。うちつゞきたもつ人、ありがたくきこえ給ふに、大衆などかねならして、おこることだに侍らぬとかや。又太政のおとゞの御子にては右大臣雅定と申して、さきにもまひ人のこと申し侍る。中院のおとゞとておはしき。御はゝは加賀兵衛とかいひしがいもうとにて、下らう女房におはせしかど、あにの大納言よりも、おぼえもおはしもてなし申し給ひき。このおとゞは、ざえもおはして、公事などもよくつかへ給ひけり。さうのふえなどすぐれ給へりける、時元とて侍りしを、すこしもたかへず、うつし給へるとぞ。まじりまろといふふえをも、つたへ給へり。まじりまろとは、からのたけ、やまとのたけのなかに、すぐれたるねなるを、えらびつくりたるとなん。まじりまろといふさうのふえは、ふたつぞ侍るなる。ときもとがあにゝて、時忠といひしもつくりつたへ侍るなり。むらといひて、いなりまつりなどいふまつりわたるものゝ、ふきてわたりけるふえのひゞきことなるたけのまじりてきこえ侍りければさじきにて時忠よびよせて、かゝるはれには、おなじくは、かやうのふえをこそふかめとて、わがふえにとりかへて、我をばみしりたるらん。のちにとりかへんといひければむらのをのこよろこびて、みなみしりたてまつれりとて、とりかへたりけるを、すぐれたるひゞきありけるたけをぬきかへて、えならずしらべたてゝ たびたりければよろこびてかへしえてなん侍りける。そのまじりまろは、時忠がこの時秀といひしがつたへ侍りしを、こも侍らざりしかば、このころはたれかつたへ侍らん。ときたゝは刑部丞義光といひし源氏のむさのこのみ侍りしにをしへて、そのふえを、もとよりとりこめて侍りけるほどに儀光あづまのかたへまかりけるに、時忠もいかでか、としごろのほいにおくり申さざらんとて、はる<”とゆきけるを、このふえのことを思ふにやとや心えけん。わがみはいかでも有りなん。みちの人にて、このふえをいかでかつたへざらんとて、かへしたびたりければそれよりこそ、いとまこひてかへりのぼりにけれ。そのふえをかくたしなみたれども、時元わかゝりけるとき、武能といひて、えならずふえしらぶるみちのものありけるが、としたけてよるみちたど<しきに、時元てをひきつゝ、まかりければ、いとうれしくおもひてえならずしらぶるやうどもつたへて侍りければにや。いとことなるねあるふえになん侍るなる。この右のおとゞ、かゝるつたへおはするのみにもあらず、家のことにて胡飲酒まひ給ふこと、いみじく、そのみちえ給ひて、心ことにおはしける、そのまひも、資忠とてありしまひ人の、政連といひしといどみて、祇園の會に、はやしの日とか。ころされにければ忠方近方などいひしも、まだいといはけなくて、ならひもつたへぬぞ、太政のおとゞの、忠方にはをしへ給へるぞかし。しかあれども、このおほいどのばかりは、えつたへざるべし。政連はいづもにながされて、かのくにのつかさのくだりたるにもをしへ、又この友貞とかいふも、京へのぼりて、顯仲とかいひし中納言にも、をしへなどすときゝしかども、このおほいどのゝつたへ給へるばかりは、いかでか侍らん。あにの忠方は胡飲酒をつたへ、おとうとの近方は、採桑老を天王寺の公貞といひしにつたへて、このころは、そのこどものあにおとうと、すぢわかれてまひ侍るとなん。たゞかたちかゝだ、落蹲といふまひし侍りしは、おとうとは、あにのかたをふまぬさまにまひ侍りしは、めづらしき事に侍りしを、こどもはいかゞ侍るらんと、ゆかしくこの右のおとゞは、御心ばへなど、すなほにて、いとらうある人にておはしけるうへに、のちのよの事など、おぼしとりたる心にや。わづらはしきこともおはせで、いとをかしき人にぞおはせし。まだわかくおはせしころにや。いよのごといふをんなを、かたらひ給ひけるに、ものし給ひ、たえてほどへぬほどに、やましろのさきのつかさなる人になれぬときゝて、やり給へりける御哥こそ、いとらうありて、をかしくきゝ侍りしか。
  まことにやみとせもまたで山城の伏見の里ににひ枕する
と侍りける。むかし物がたりみる心ちして、いとやさしくこそうけ給はりしか。おほかた哥よみにおはしき。殿上人におはせしとき、いはしみづのりんじのまつりの使、したまへりけるに、その宮にて、御かぐらなどはてゝ、まかりいで給ひけるほどに、まへのこずゑに郭公のなきけるをきゝたまひて、としよりの君の、陪従にておはしけるに、むくのかうの殿、これはきゝ給ふやと、侍りければ思ひかけぬはるなけばこそはべめれと、心とくこたへ給ひけるこそ、いとしもなき哥よみ給ひたらむには、はるかにまさりてきこえける。四条中納言、このれうによみおき給ひけるにやとさへおぼえて、又きゝ給ひておどろかし給ふも、いうにこそ侍りけれ。かやうにおはせん人、いとありがたく侍り。出家などし給ひしこそ、いときよげに、めでたくうけ給はりしか。べちの御やまひなどもなくて、たゞこのよはかくて、後の世の御ためとて、右大臣左大将かへしたてまつりて、かはりたまはらんなどいふ御まうけもなくて、中院にてかしらおろして、こもりゐたまへりしこそ、いと心にくゝ侍りしか。御こもおはせねば、あにの御こ、いまの内のおとゞ、又雅兼の入道中納言の御こ、定房の大納言、やしなひ給へるかひありて、くらゐたかく、おの<なり給へり。御のうどもをつぎ給はぬぞくちをしく侍る。内のおとゞの御こも少将とてふたりおはすなり。