中宮の御せうとたち、をとこもそうもさま<”おほくおはしましき。太政大臣雅実のおとゞと申ししは、中宮のひとつ御はらからにて、六条の右のおとゞの太郎におはしき。その御はゝ治部卿隆俊の中納言のむすめなり。こが のおほきおとゞと申しき。いと御身のざえなどはおはせざりしかど、よにおもく、おもはれたる人にぞおはせし。ちゝおとゞ、わがまゝなる御心にて、ひが<しきことも、したまひけるにも、このおとゞまゐり給ひければとゞまりたまひけり。白川院も、はぢさせ給へりけるとこそ、きこえ侍りしか。醍醐より、僧正の申さるゝことなど侍りけるを、このおとゞに、おほせられあはせければしる所などいくばくも侍らねば、さぶらふものどもに申しつけて、しもづかさなどいふことは、えしり給はぬことになんなど侍りければいとはづかしくあるかなと、おほせられけり。ほりかはのみかどの御とき、この少将とて、入道右のおとゞ、いはしみづのまひ人し給ふべかりけるに、中のみかどの内のおとゞ少将とておはするは、上らうなりけれど、一のまひは、中院ぞおほせられむずらんと、おぼしけるに、ちそく院の太殿の、関白におはするに、みかどもはゞかりて、むねよしの一のまひし給へりければ久我のおとゞきゝつけ給ひて、この少将をばよびとゞめてはらだちてこもり給ひければみかどもいださせ給ひて、心ゆるさむとて、かゝいを給はせたりければしかあらば、いでありかざらんもびんなしとて、よろこび申しなどせられけるに、関白殿 たいめんし給ひて、ことのついでなれば申すぞ。大饗にはおとゞ尊者に申さむずるなり。そのよしきこえしるべきなりなどありて、たのみておはしけるほどに、その日になりて、みせにつかはしたりければ御ものいみにて、かどさしておはしければ俊明の大納言をぞ尊者にはよび給ひける。四条の宮は、むげにくだりたるよかなとて、なかせ給ひけるとかや。りんじのまつりの一のまひ、少将のし給はぬ、やすからぬ心にて、かくたがへ給ふなりけり。その入道右のおとゞ、宰相の中将と申しゝ時、さねよしのおとゞの、三位中将とておはせし、こえて中納言になり給ひけるにも、太政のおとゞ、院をうらみ申し給ふときかせ給ひて、中宮のせうとにて、うちのせさせ給ふ。すぢなきことかなと、おほせられながら、長忠の宰相、左大弁にて中納言になりたりけるを、こを弁になさんと申しけるものをとて、中納言にて七八日ばかりやありけん。ながたゝをば、大蔵卿になしてこの能忠をば弁になしてぞ中院の宰相中将は、中納言になり給ふとうけ給はりし。待賢門院中宮にたゝせ給ひけるにや。白河院盛重とてありしを御使にて、太政のおとゞに、なにごとも、おもふことのかなはぬはなきに、上らう女房なん、心にかなはぬことはあるを、思ひかけず、上らう女房をまうけたることなん侍と、おほせられたりければいかなる人のことにかととひ給ふに、ほかばらのひめぎみのおはしける御ことなりけり。それをきゝ給ひて、御うしろみよびて、そのひめぎみのもとへ、さたしやることゞもはおこたらぬかとゝひ給へば、さらにおこたり侍らずと申すに、いまはそのさたあるまじとありければ御つかひもうしろみも、いとおもはずに思へりけり。御かへりいかゞと申しければうけ給はりぬとばかり申し給ひけり。院はともかくものたまはざりけりとなん。かやうに院にも関白にもはゞかり給はぬ人におはしけり。御心のあてなるあまりに、ものゝかずも、こまかにしり給はざりけるにや。をさめどのするさぶらひ人のもとに、きぬせさせにやれとありければふたつがれうには二ひきなんつかはしつると申しければひとつをこそ、二ひきにてはすれとの給ひて、おどろきたまひけるに、たくみのすけなにがしといふに、とひ給ひければおなじさまに申しけるにこそ、さはえしらざりけるにこそと、をれ給ひけれ。これをいへ人、かたりあひけるをきゝて、兼延といふ近衛とねりは、いづれのくにのきぬとかを、こまかにきりなどせさせ給ふところも、おはしますものをなどいひける、いとはづかしくこそ。このおほいまうちぎみ、おこり心ちわづらひ給ひけるに、白川院より平等院の僧正をつかはして、いのらせ 給ひけるに、おこたりたるふせにむまをひき給ひける。おほかたいひしらぬあくめになん侍りければ院きこしめして、われこそふせもうべけれど、もりしげといひしをつかはしておほせられければ院にありがたきものまゐらせんとて、むさしの大徳隆頼がつくりたる、こゆみのゆづかの、しもひとひねりしたるをとりいでゝ、うるしのきらめきたるさしてすりまはして、にしきのゆづるとりすてゝ、みちのくにかみしてひきまきて、にしきのふくろにもいれず、たゞみちのくにかみにつゝみて、たてまつられたりければいとめづらしきものなりと、たちかへりおほせられけるとぞきゝ侍りし。