今鏡 - 54 竹のよ

みかど關白につぎたてまつりては、御はゝかたの君だちをこそ、みなよにしかるべき人にておはすめれ。九条殿の御子の中に、三郎におはしましゝ、關白たえずせさせ給ふ。十郎にあまり給へりし、閑院のおほきおとゞのすゑこそ、關白はし給はね共、うちつゞきみかどのおほんをぢにて、さるべき人々おはすめれば、その御ありさま申さんとてまづみかどの御はゝかたを申しつゞけ侍る也。朱雀院村上の御おほぢは、堀河殿、冷泉院、円融院の御おほぢは九条殿、花山院のは一条殿、一条ゐん、三条院のは東三条殿、後一条院、後朱雀院、後冷泉院この三代の御おほぢはみだうの入道殿、この十代のみかどは昭宣公と申す堀川殿のひとつ御すゑなり。後三条院こそ、はゝかたもみかどの御まごにておはしませど、御はゝ陽明門院は、みだうの御まごにておはしませば、ひとつ御ながれ なり。白河院の御おほぢ、閑院の春宮太夫のおなじながれにおはしますを、まことの御おやは、閑院の左兵衛督公成、このおなじ御ながれなれど、東三条殿の御すゑにはおはせで、その御おとうとの、閑院のおとゞの御すゑなり。この閑院のおほきおとゞの御うまごにおはせし、左兵衛のかみの御すゑよりつゞき、御かどの御おほぢにおはす。このきんなりの左兵衛督の御子あぜちの大納言さねすゑは、鳥羽の院の御おほぢなり。この大納言の太郎には、春宮太夫公實と申しき。經平の大貳のむすめのはらにおはす。みめもきよらかに、和哥などもよくよみ給ふときこえ給ひき。ふえふきことひきなどし給はざりけれど、こうばいのみちのくにかみにまきたるふえ、こしにさして、ことつめおぼしてぞおはしける。こと人のさやうにおはせば、人もあざけるべきに、よくなり給ひぬれば、とがなくいうにぞみえ侍りし。わかくおはしけるほどにや。右近のむまばに郭公たづねに、夜をこめておはしたりければ女房ぐるまのざしき一人ぐしたる、さきにたてりけるに、ほとゝぎすはなかで、やう<あけゆくほどに、くひなのたゝきければ女のくるまより、
  いかにせんまたぬくひなはたゝくなりといひおくり侍りければ、   やまほとゝぎすかゝらましかば
とつけてかへしたまひにけり。女はたれにかありけん。ゆりばなにやとぞうけ給はりし。いかにもやさしく侍りけることかな。このよには、さやうのことありがたくそあるべき。よみ給へる哥おほかる中にいとやさしくきこえ侍りしは、
  おもひいづやありしそのよのくれ竹のあさましかりしふしどころ哉
とよみ給へるこそ、いづくにかいばみ給ひけるにか侍りけん。からうすのおとしてたうらいだうしなどや、をがみけむとさへおもひやられはべる。そのおほい君は、つねざねの大納言のうへ、そのつぎは、花ぞのゝ左のおとゞのきたのかた、三のきみは待賢門院におはします。つぎざまに、まさり給へることをまろがあねあらましかば、夫などいひて、たきゞおへるしづのをにぐする人にやあらましなどの給はせけるときこえし。さしもの給はぬことを、人のいはせ侍るにも有りけん。またさやうのことはたはぶれたまはん、さも侍りけん。みなこの御はゝ光子の二位の御はら也。春宮太夫の太郎にては、侍従中納言實隆と申しておはしき。その御はゝ美濃守基貞の御むすめなり。この中納言人がらは よくおはしけるにや。院に和哥の會せさせ給ひけるに、哥人にまじりて哥かきたるむねにもいれ、ひきそばめなどはし給はで、いつとなくささげておはしければ御おとうとの、太政のおとゞ、そのをりまだ中納言などにやおはしけん。み給ひて、この人は哥などもよみ給はぬにとおぼつかなくて、御哥み給へはべらばやと申し給ひければなにごとの給ふぞ。前左衛門佐ひがことせられんやはとの給ひける、をかしかりしとぞ侍りける。基俊のきみ、すぐれたるうたよみなん。よき哥なるべしとの給ふにこそとはきこゆれど、哥の道はよきにつけ、あしきにつけて、しゝあひて、我もたび<に、人にもみせあはせなどすることを、わがえぬことはかくおはする事也。そのこにて、れいぜいの宰相公隆とておはせし、わかくて後少将ときこえし、わか殿上人のいうなるにておはしき。そのおとうとに、兵衛佐成隆とておはしける、まだをさなくて、かくれ給ひにき。こと御はらにや。ならに覚珍法印と申ししは、たうじおはす。ざへある人ときこえ給ひ、春宮太夫の二郎におはせしにや。大宮のすけ實兼とかきこえて、のちには刑部卿など申すおはしき。この御なかにかんだちめなどにえなり給はざりき。その御むすめのあはのかみ朝綱ときこえし、むすめのはらにおはしける、女院にまゐり給へりけるが、鳥羽院しのびてものなどおほせらるゝ事ありとて、ほふわうのいださせ給ひけるとぞきこえ侍りし。