法門のかたは、またそこをきはめさせ給ひて、山、三井寺、東大寺、やましなでらなど智恵ある僧綱、大とこも、内裏に御讀經などつとむるをりに、みすのうちにて、ふかき心たづねとはせ給ひ、わがとのにて、八講などおこなはせ給ふをりふしのことにつけて、經論のふかきこと、ひろき心、くみつくさせ給はぬことなくなん、おはしましける。御仏供養せさせ給ひける御導師に、菊の枝にさして給はせける、
たぐひなきみのりを菊の花なればつもれるつみは露も残らじ
などぞきこえ侍りし。御心ばへも、すき<”しくのみおはしましながら、わづらはしく、とりがたき御心にて、ひか<”しきことはおはしまさで、なに事もおどろかぬやうにぞおはしましける。さればよにもにさせ給はで、いづかたにも、うときやうに、きこえさせ給ひて、きんだちなど心もとなく、きこえさせ給ひしかども、世の中みだれいできてのち、もとのやうに、氏の長者にも、かへりならせ給ひき。男公達も、くらゐたかくならせ給ひて、法師におはしますも、僧正ともならせ給ひ、ところ<”の長吏もせさせ給へり。女御きさき、かた<”おはして、よろづあるべきこと、みなおはしましき。むかしときにあはせ給ひたる、一の人にをとらせ給ふ事なかりき。馬をうしなひて、なげかざりけんおきなゝどのやうにて、おはしましゝけにや。くるしきよをすぐさせ給ひてのちは、かくさかえさせ給へり。つくらせ給ひたる御詩とて人の申ししは、 官禄身にあまりてよをてらすといへども、素閑性にうけて權をあらそはず。 とかやつくらせ給へるも、その心なるべし。さやうの御心にや。又このゑのみかどのかなしびのあまりにや。関白にこのたびならせ給ひしはじめに、かのみかど、ふなおかにをさめたてまつりし御ともせさせ給へりし、かちよりおはしますさまにて、御こしのつなをながくなされたりしにやにきにしなしてかゝれてぞすえざまはおはしましける。 いとあはれに、かなしくなん侍りける。二条院くらゐにつかせ給ひし時、関白をば御子にゆづりまさせ給ひて、大殿とておはしましゝほどに、御ぐしおろさせ給ひて、御名は円観とぞつかせ給ひける。このおとゞうせさせ給ふほどちかくなりて、法性寺殿かつら殿など、御らんじめぐらせ給ひて、ところ<”のありさまを、さま<”のふみどもつくらせ給ひてもりみつこれとしなどいふ学生どもに給ひて、和してたてまつり判をさせなどせさせ給へり。のちの世に、仏道ならせ給へるにや。こゝのしなのはちすのうへに、おはしますなど、ゆめにも人のみたてまつりたるとかや。式部大輔永範、ゆめにみたてまつりたるとて、詩三首つくりて給はせける中に、 漢月天にうるはしくしてこと<”くなりといへ共わするゝことなかれ。昔のひ文をもてあそぶことを と、つくらせ給へりけるとて、和して奉らんとしけるほどに、おどろきにけり。夢のうちには都率の内院におはしますと、おぼしかりきとぞ、和してたてまつれるふみにはかゝれはべるなる。



