今鏡 - 37 宇治の川瀬

後の二条殿の御つぎには、ちかくふけ殿とておはしましゝ、入道おとゞおほぢの大殿、御こにしまさせ給ふときこえ給ひき。御母は大宮の右のおとゞの御むすめなり。このおとゞの御名はたゞざねとぞきこえ給ひし。康和元年閏九月廿八日、内覧の宣旨かぶり給ひき。御とし廿二、同二年七月十七日、右大臣にならせたまひき。大将も猶かけさせ給へりき。天永三年十二月十四日、太政大臣になり給ひき。はじめは宇治のかはせなみしづかにて、白河の水へだてなくおはしましゝかば、ふけ殿つくり 給ひて、院わたらせ給ひけるに、宇治川にあそびのふね、うたうたひて、なみにうかびなどして、いとおもしろくあそばせ給ひけり。盛定といひしをとこ、うたうたひ、その時こうたうなどいひしふねにのりぐして、うたつかうまつりけるとかや。そのたび人々に、哥よませさせ給はざりけるをぞ、くちをしくなど申す人もありける。かやうの所にわたらせ給ひて、なにとなき御あそびも、ふるきあとにもにぬ御心なるべし。かやうにてすぎさせ給ひしに、保安元年十一月十二日にやありけん。夜をこめて院よりとて堀川のおとゞにはかにまゐり給へと御つかひありて、おとゞ内覧とゞむべきよしを、おほせくだし給ひけり。白川院うせさせ給ひて、鳥羽院世しらせ給ひし時にぞふけよりいでさせ給ひし。待賢門院をさなくおはしましゝを、白川院やしなひたてまつり給ひて、鳥羽院くらゐにおはしましゝ、女御にたてまつり給ふほどに、入道おほきおとゞの御むすめ、女御にたてまつらんと、せさせ給ふときこゆるによりて、関白うちとめ申させ給ふとぞきこえ侍りし。白川院の御よに、きさきみやす所などかくれさせ給ひて、さるかた<”もおはせざりしに、白川殿ときこえ給ふ人おはしましき。その人待賢門院をば、やしなひたてまつりたまひて院も御むすめとて、もてなしきこえさせ給ひし也。その白川殿あさましき御すぐせおはしける人なるべし。宣旨などはくだされざりけれども、世の人はぎをんの女御とぞ申すめりし。もとよりかの院の、うちのつぼねわたりにおはしけるを、はつかに御らんじつけさせ給ひて三千の寵愛、ひとりのみなりけり。たゞ人にはおはせざるべし。かもの女御と世にはいひてうれしきいはひをとて、あねおとうとのちにつゞきて、きこえしかば、それはかのやしろのつかさ、重助かむすめどもにて、女房にまゐりたりしかば、御めちかゝりしを、これははつかに御らんじつけられて、それがやうにはなくてこれはことのほかに、おもきさまにきこえ給ひき。かの御さたにて、その女院もならびなくおはしましき。代々の國母にておはしましければことわりとは申しながら、いかばかりかはさかえさせ給ひし。をさなくては白河院の御ふところに御あしさしいれて、ひるも御とのごもりたれば、殿などまゐらせ給ひたるにも、こゝにすぢなきことのはべりて、えみづから申さずなど、いらへてぞおはしましける。おとなにならせたまひても、たぐひなくきこえ侍りき。白川院かくれさせ給ひてこそほいのごとく殿のひめ君たてまつり給ひて、女御の宣旨かぶり給ふ。皇后宮にたち給ひてのちは、院号聞えさせ給ひて、高陽院と申しき。院のゝちまゐり給へるが、女御の宣旨 はこれやはじめて侍りけん。きさきの宮のはじめつかたも、宇治の御幸ありて、皇后宮ひきつゞきていらせ給ひしうるはしき行けいのやうには侍らで、みなかり衣にふりうなどして、女房の車いろ<にもみぢのにほひいだして、ざうしなどもみなくるまにのりてなん侍りし。さき<”白川院の御時は、ざうしはみな馬にのりて、すきかさたゝのかさなどきて、いくらともなくこそつゞきて侍りしか。これ女車にて、これぞはじめて侍りし。きさきの宮には、かぶりにてこそつねは人々候を、これはほういになされてなん侍りし。此のふけのおとゞは、御みめもふとりきよらかに、御こゑいとうつくしくて、としおいさせ給ふまで、ほそくきよらにおはしましき。らうゑいなどえならず、せさせ給ふ。又さうのことは、すべてならびなくおはしましき。うたはさまでもきこえさせ給はざりしに、宇治にこもりゐさせ給へりしときぞ、
  さほがはのながれたえせぬ身なれ共うきせにあひてしづみぬる哉
とよませ給ひけるとかや。ふみのさたなどは、つねにせさせ給ふともきこえざりしかども天台止観とかいふふみをぞ、皇覚とかいひて、すぎうの法橋といひしに、本書ばかりはつたへさせ給ひてけり。日ごとにまゐりて候ひければ、まぎらはしき日も、よふけてなど思いださせ給ひつゝ、としをわたりてぞよみはてさせ給ひける。真言もこのみさたせさせ給ひけるときこえき。としよらせ給ひては、御あしのかなはせ給はざりしかば、わらふだにのりてひかれ給ひ、又御こしなどにてぞ院にもまゐり給ひける。御ぐしおろさせ給ひて、ならにても、山にても、御ずかひせさせ給ひき。御名は圓理とぞきこえさせ給ひし。いづれのたびも、院の御ともにぞ御受戒せさせ給ひける。御子のひだりのおとゞのことおはせしゆかりに、ならにおはしましゝが、宇治殿へはいらせ給はで、おはしましゝを、法性寺殿に、御せうそくありければとく京のかたへいらせ給へと、御かへりごと申させ給ひければよろこび給ひて、としごろの御なかもなほらせ給ひて、はりまとてときめかせ給ひし人の、みやこのきたに、雲林院か。知足院かに侍るなるだうにぞおはして、うせさせ給ひにし。そのはりまとかきこえし人は、よにたぐひなき、さいはひ人になむおはすめり。白川殿に、たゞおなじさまなるはじめにやおはしけん。のちには女院の、はしたものなどいふことになり、つぎに女房になりなどしておはすとぞ、きこえられし。いまにかしこき人にて、法性寺殿の、三井寺の僧都の君、やしなひまして、むかしにかはらぬありさまにてなん、きこえ侍るなる。かの白川殿とて、祇園におはせしは ゆかりまでさりがたく、院におぼしめされておはせしに、はじめつかた、平氏のまさもりといひし、まゐりつかうまつりければをきのかみなどいひけるも、のちにはしかるべき國々のつかさなど、なりたりけれど、猶下北面の人にてありけれど、その子よりぞ院の殿上人にて、四位五位のまひ人などしけれども、内の殿上は、えせざりけるに五節たてまつりけるとし、受領いまひとり、ためもりためなりなどいひしが、ちゝなりし殿上ゆるされたりしかば、忠盛、
  おもひきや雲ゐの月をよそにみて心のやみに迷ふべしとは
とぞきこえし。その殿上ゆるされたりしは、院の御めのとご、知綱といひしがうまごなれば、いとほしみあるべきうへに、ちかくつかはせ給ふ女房の、心ばへなどおぼしめしゆるされたるものにてありしが、こなどあまたうみたりければ殿上せさせんとおぼしめしながら弁近衛すけなどにもあらで、たちまちに殿上せんも、いかゞとおぼしめして、うさの使につかはしけるを、鳥羽院の新院と申して、おはしましゝほどに、長輔ときこえし兵衛佐をつかはさんと、申させ給ひければかの御方に申させ給ふことさりがたくて、さらば為忠は、ことしの五節をたてまつれとてぞ殿上はゆるされける。あまりふとれりしかばにや、口かわくやまひして、十年ばかりこもりゐながら、四位の正下までのぼりしも、三条烏丸殿つくりたりしたびはをとこゝそこもりたれども、をんなのみやづかへをすれば、加階はゆるしたぶとおほせらるとて、顕頼の中納言は、大原うとくおぼゆとぞ、よろこびいふとて、たはぶれられける。左京のかみ顕輔のいはれけるは太夫の大工なるべし。二条のおほみやつくりてもかゝいし、そのみだうつくりても、又院の御所つくりても加階すと、いはれけるときこえしにあはせて、木工権頭をぞ、かけづかさにしたりし。貫之かつかさなればとて、なりたりけるとかや。その人まだをさなきほどなりけるに、白河の法皇の、六位の殿上したりけるに、それがしとめしけるを、人のめしつぎければ藤原の、異姓になるは、あしきことなりとて、もとの姓になるべきよし、おほせられけるも猶むかしの、御いとほしみの、のこりけるとぞきこえし。ためあきらといひし人も、本はためのりといひけるを、白河院のためあきらとめしたりけるより、かはりたるとかや。おほぢの高大貳は、なりのりといひしかども、このころそのすゑは、むねあきらなどいへるは、めしけるよりあらたまりたるとかや。白川院ははかなきこともおほせらるゝことの、かくぞとゞまりける。又御心のさとくおはしまし て、時のほどにおもほしさだめけるは、しなのゝかみこれあきらといひしが、式部丞の蔵人なりし時、女房のつぼねのまへにゐて、ものなど申しけるに、殿まゐらせ給ふとて、庭におりてゐければ女房まゐりて、関白のまいり候ふなど申しければ関白ならばさきこそをはめ。をこのものはあにのともつながまゐるを、いふにこそあらめと、おほせられけるに、はゝきのかみのまゐられたりけるとぞ、女房かたられける。かの雲ゐの月よめりし忠盛は、中々に院かくれさせ給ひてのちにぞいつしか殿上ゆるされたりし。そのとき、殿上のすゞりのはこに、かきつけられたりけるうたありけりときこえしは、みなもとなのるくものうへはなにさへのぼるなりけりとかや。わすれておぼえはべらず。やましろといせと、みなもとゝたひらとを、たいしたるやうにぞきこえし。おなじおりに殿上したりける人のことなるべし。その平氏のこども二人ならびて蔵人になりなどせしも、平氏のおほきおとゞは、白川院の御時は、非蔵人などいひて、院の六位の殿上したりしかども、うるはしくはなさせ給はで、かうぶり給はりて、兵衛佐になりたりしも、蔵人は、なほかたきことゝきこえはべりき。さてまたかのうさつかひにくだられし、兵衛佐はありかたときこえし人のむこなりしが、心ざしやなかりけん。はなれにしかば、いとくちをしくて、なほ御きそくにて、ふたゝびまで、とりよせたりしかども、えすみはてざりしかば、よにうたにさへうたひてありしを、院の御めのとごの、帥のこなれども、ふたゝびまで、とこさりたるあやまりにや。くにのつかさなりしをもとらせ給ひて、ふるさとのせうとに、あまのはしだてもわたりにしは、かの宮内卿へいしの、むこになれりしいとほしみの、のこれるなるべし。そのふるさとに、すみわたる人ときこえしも、よの中によめるうたなど、きこえ侍りき。哥はわすれておぼえ侍らず。