今鏡 - 36 波の上の杯

この大殿のすゑ、ひろくおはしますさまは、をのこ君だち、よにしらずおほくおはしまして、をとこ僧も、あまたおはしますに、御むすめぞおはしまさぬ。六条の右のおとゞの御むすめを、殿の御子とて、白河院の東宮と申しし時より、みやすどころにたてまつり給へりし、賢子の中宮とて、堀川院の御母なり。宮々おほくうみたてまつり給へりき。その 御ことはみかどの御ついでに申し侍りぬ。さて一の人つがせ給ふ。太郎におはしましゝ、のちの二条の関白おとゞの御ながれこそ、いまもつがせ給ふめれ。その御名は関白内大臣師通と申しき。御母は土御門の右のおとゞもろふさと申しし御むすめを、山井の大納言のぶいへと申ししが、こにしたてまつり給へりし御はらなり。永保三年正月廿六日内大臣になり給ふ。御とし廿一、嘉保元年三月九日関白にならせ給ふ。御とし卅三、その三年正月、従一位にのぼらせ給ふ。左大臣のかみにつらなるべき宣旨かうぶり給ふ。承徳三年六月廿八日、御とし卅八にて、うせさせ給ひにき。大臣のくらゐにて十七年おはしましき。このおとゞ、御心ばへたけく、すがたも御のうも、すぐれてなんおはしましける。御即位などにや侍りけん。匡房の中納言、この殿の御ありさまをほめたてまつりて、あはれこれをもろこしの人にみせ侍らばや。一の人とてさしいだしたてまつりたらんに、いかにほめきこえんなどぞまのあたり申しける。玄上といふびはをひき給ひければ、おほきなるびはの、ちりばかりにぞみえ侍りける。てなどもよくかゝせ給ひけり。うまごの殿などばかりは、おはしまさずやあらん。てかきにおはしましきとぞ、さだのぶのきみは人にかたられける。三月三日曲水宴といふことは、六条殿にて、この殿せさせ給ふときこえ侍りき。から人のみぎはになみゐて、あうむのさかづきうかべて、もゝの花の宴とてすることを、東三条にて、御堂のおとゞせさせ給ひき。そのふるきあとを尋ねさせ給ふなるべし。このたびの詩の序は孝言といひしぞかきける。ときゝ侍りし。四十にだにたらせたまはぬを、しかるべき御よはひなり。かぎりある御いのちと申しながら、御にきみのほど、人の申し侍りしは、つねの事と申しながら、山の大衆のおどろ<しく申しけるもむづかしく、世の中心よからぬつもりにやありけんとも申し侍りき。