今鏡 - 31 雲のかへし

宇治のおほきおとゞの御むすめは、大殿の一御はらにて、四条の宮になんおはしましける。そのさきに、式部卿のみこの女君をこにしたてまつりて、後朱雀院の御時たてまつらせ給へりしは、こうきでんの中宮〓子と申しき。その御ことはさきに申し侍りぬ。いつしか、みや<うみたてまつりて、あへなくかくれさせ給ひにし、いとかなしく侍りしことぞかし。まことの御むすめならねども、いかにくちをしくおぼしめされけん。秋のあはれいかばかりかはかなしく侍りし。この中宮のうみたてまつり 給へるひめ宮は、祐子の内親王と申しき。長暦二年四月廿一日むまれ給ふ。長久元年裳きし給ひき。延久四年御ぐしおろし給ふ。のちに二品の宮と申しき。この宮の哥合に、宇治のおほきおとゞの御うた
  有明の月だにあれや時鳥たゞひとこゑのゆくかたもみん
とよみたまへるなり。大貳三位、
  秋ぎりの晴せぬみねにたつ鹿はこゑばかりこそ人にしらるれ
とぞよめりける。又〓子の内親王と申すこそは、この中宮うみおき給へる宮におはしませ。寛徳三年三月、かものいつきと申しき。天喜六年御なやみによりていで給ふ。みまさかのごが、ありしむかしのおなじこゑかとよめるは、この宮のいつきのころ侍りて、思いだして侍りけるになん。このみやいつきときこえけるころ、本院のあさがほをみ給ひて、
  神がきにかゝるとならばあさがほのゆふかくるまで匂はざらめや
と侍るもいとやさしく、宇治殿のまことの御むすめ、四条のみやにおはします。後冷泉院の中宮寛子と申す。永承元年うちへまゐり給ひて、同六年皇后宮にたち給ふ。御とし十六、治暦四年四月に、中宮と申す。同十二月に、御ぐしおろさせ給ふ。御とし卅二、天喜四年皇后宮にて、うたあはせせさせ給ふに、堀川の右のおとゞ、雲のかへしのあらしもぞふくなどよみ給此たびなり。また御身にもえさせ給へりけるみちにこそ侍るめれ。女房のまゐらむと申しけるほどに、身まかりけるをきかせ給ひて、
  くやしくぞきゝならしけるなべてよの哀とばかりいはまし物を
とよませたまひけん。いとなさけおほくなん。宇治殿のかぎりにおはしましけるに、おほ殿のおぼしめさん事、おほせられおかせ給へと申させ給ひければ、宇治とみやとゝぞ、おほせられける。宇治とは平等院の御だうの事、宮とは四条宮の御事也。かくて候はんずれば、御堂の事、宮の御事は、おぼつかなくおぼしめすこと、つゆはべるまじきなりとぞよく申させ給ひけるとなん。