今鏡 - 30 伏見の雪の朝

大將殿のほかの君だちは、おほとのゝひとつ御はらにおはしましき。おほ殿の御すゑこそは、一の人つがせ給ふめれ。その御ほうにおされて大將殿もとくかくれ給ひにける にこそ。女君は後朱雀院の中宮に、たてまつり給へりしは、まことの御こにはおはしまさで、式部卿の宮の御こなりしに、まことの御むすめは、四条の宮と申しき。大将のひとつ御はらなり。ふしみのすりのかみ、としつなときこえし人も、ひとつ御はらにおはしき。その御母は贈二位讃岐守としとをと、あひぐし給へりければ、としつなのきみ、御こにておはしけれど、けざやかならぬほどなりければにや。なをとしとをのぬしのこの定にて、たちばなのとしつなとてぞおはせしのちになほ殿の御ことて、藤原になり給ひき。なほしなどきられけるをも、たちばなゝをしとぞ人は申しける。まめやかになりてのち、大殿、宇治大僧正、四条宮などは、おなじ御はらなれど、すりのかみは、げらうにてやみ給ひにしぞかし。かんだちめにだにえなられざりける、猶よのあがりたるにや。からくやおぼしけんとぞ、おぼえはべりし。されどもあふみのかみ有佐といひし人は、後三条院のまことには御こときこえしかど、さぬきのかみ顯綱のこにてこそ、やまれにしか。有佐といふ名も、みかどの御てにて、あふぎにかゝせ給ひて、母の侍従内侍にたまへりける。ほりかはの左のおとゞは、なかつかさのせふありすけがみちにあひて、おりてゐたりつるこそ、いとほしくおぼえつれ。院にたがはずにたてまつりたるさまなどありけるときこえしかば、それはさてこそやまれにしか。このすりのかみは、たちばなをかへられしかば、猶関白の御こなるべし。このすりのかみの、むかしおはりのくにゝ俊綱といひけるひじりにておはしけるを、あつたのやしろのつかさの、ないがしろなることの有りければ、むまれかはりて、そのくにのかみになりて、かの国にくだるまゝに、あつたにまうでゝ、その大宮司とかをかなしくせためられなどしければ、あやまちなきものを、かくつかまつるよと、神に申しけるゆめに、むかしすんがうといひて有りしひじりの法施をとしごろえさせたりしかば、いかにもえとがむまじきとぞみたりける。しかならんために、くにの司のしなに、むまれたまひけるにこそ。さすがむかしのおこなひのちからに、関白の御こにてもおはするなるべし。われもむかし、その物をさめたりきなどいひて、かゞみとりいださせなどせられける、たゞ人にはおはせざるべし。大殿のふしみへおはしましたりけるも、すゞろなる所へはおはしますまじきに、雪のふりたりけるつとめて、としつながいたく伏みふけらかすに、ゝはかにゆきてみんとて、はりまのかみもろのぶといふ人ばかり御ともにて、にはかにわたらせ給ひたりければ、おもひもよらぬことにて、かどをたゝきけれど、むごにあけざりければ、人々いかにとおもひけり。かばかりの雪のあしたに、さらぬ人の家ならんにてだに、かやうのをりふしなどは、そのよういあるべきに、 いはんや殿のわたり給へるに、かた<”おもはずに思へるに、あけたるものに、おそくあけたるよし、かうづありければ雪をふみ侍らじとて、山をめぐり侍と申しければもとよりあけまうけ、又とりあへずいそぎあけたらむよりも、ねんにけふあるよし、人々いひけるとか。修理のかみさわぎいで、雪御らんじて、御ものがたりなどせさせ給ふほどに、もろのぶかくわたらせ給ひたるに、いでしかるべきあるじなどつかまつれと、もよをしければ、としつな、いまにべとのまゐり侍りなん。と申しければ人にもしられで、わたらせ給ひたれば、にへ殿まゐることあるまじ。日もやう<たけていかでか、御まうけなくてあらんといひければ、殿わらはせ給ひて、たゞせめよなどおほせられけるほどに、いへのつかさなるあきまさといひて光俊有重などいふ学生のおやなりしをのこ、けしきゝこえければ、修理のかみたちいでゝかへりまゐりてあるじして、きこしめさすべきやうはべらざる也。御だいなどのあたらしきも、かく御らんずる山のあなたのくらにおきこめて侍れば、びんなくとりいづべきやうはべらず。あらはにはべるは、みな人のもちひたるよし申しければ、なにのはゞかりかあらん。たゞとりいだせとおほせられければ、さばとてたちいでゝ、とりいだされけるに、色々のかりさうぞくしたり、伏みさぶらひ十人、いろ<のあこめに、いひしらぬそめまぜしたる、かたびら、くゝりかけ、とぢなどしたるざうし、十人ひきつれて、くらのかぎもちたるをのこ、さきにたちてわたるほどに、ゆきにはえて、わざとかねてしたるやうなりけり。さきにあとふみつけたるを、しりにつゞきたるをとこをんなおなじあとをふみてゆきけり。かへさには御だいたかつき、しろがねのてうしなど、ひとつづゝさげてもちたるは、このたびはしりにたちてかへりぬ。かゝるほどに、かんだちめ殿上人、蔵人所の家司職事御随身など、さま<”にまゐりこみたりけるに、このさとかのさと、所々にいひしらぬそなへども、めもあやなりけり。もろのぶいかにかくはにはかにせられ侍ぞ。かねてゆめなどみ侍りけるか。など、たはぶれ申しければ、としつなのきみは、いかでかゝる山ざとに、かやうのこと侍らん。よういなくては侍べきなどぞ申されける。ふしみにては、ときのうたよみどもつどへて、和哥の会たゆるよなかりけり。ふしみの会とて、いくらともなくつもりてなんあなる。おとはの山のけさはかすめる。などよまれたる、いというに侍るかし。かやうにもてけうぜらるゝあまりに、ふけらかしまゐらせられけるにこそ。四条のみやの女房、あまたあそびてくれぬさきにかへり給ひければ、修理のかみ、
  都人くるればかへる今よりはふしみの里のなをもたのまじ
となむよみ給ひける。白河院、一におもしろき所は、いづこかあるとゝはせ給ひければ、一にはいしだこそ侍れ。つぎにはとおほせられければ、高陽院ぞ候ふらんと申すに、第三に鳥羽ありなんや。とおほせられければ、とば殿は君のかくしなさせ給ひたればこそ侍れ。地形眺望など、いとなき所也。第三には俊綱がふしみや候ふらんとぞ申されける。こと人ならばいと申しにくきことなりかし。高陽院にはあらで、平等院と申す人もあり。ふしみには山みちをつくりて、しかるべきをりふしには、たび人をしたてゝ、とほされければ、さるおもしろきことなかりけり。大僧正まだわかくおはしけるとき、御母贈二位の宇治殿に、僧都の御房の、まだわが房もゝたせ給はで、あひずみにておはしますなるに、房をさだして、たてまつらせ給へかしと申されければ、泰憲の民部卿、あふみのかみなりけるが、まゐりたりけるに、こゝなる小僧の、房をもたざなるに、草庵ひとつむすびて、とらせられなんやとおほせられければ、つくり侍らん。いとやすきことに侍り。やすのりがたちにつかうまつる、いしだと申すいへこそ、てらもちかくて、おはしまさんにも、つれ<”なぐさみぬべき所はさぶらへ。堂なども侍りてひんよき所なりと申しければ、殿はゆゝしきほうありける小僧かな。それはこよなきことにこそあらめとて、すゑたてまつり給へりけるとぞ。やすのりの民部卿は、おほとのゝ中将など申して、いはけなくおはしけるに、大将殿などまだよにおはしましけるほどは、とのも人もおもりかに思ひたてまつらるゝこともなかりけるをり、名簿をとりいだして、ゝうつしにたてまつりて、やすのりが名簿えさせ給へらんは、さりともよしあるべき事なり。思ふやうありて、たてまつるなりと申しければ、宇治にまゐらせ給ひて、かくこそつかうまつりたれと、申させ給ひけるにこそ、おぼえはつかせ給ひけれとぞきゝ侍りし。まことにやはべりけん。