このみかど、よをしらせ給ひてのち、世の中みなおさまりて、いまにいたるまで、そのなごりになん侍る。たけき御心におはしましながら、又なさけおほくぞおはしましける。石清水の放生會に、上卿宰相諸衛のすけなどたてさせ給ふ事も、この御時よりはじまり、佛の道もさま<”それよりぞまことしきみちは、おこれる事おほくはべるなる。円宗寺の二會の講師おかせ給ひて、山三井寺ざえたかき僧などくらゐたかくのぼり、ふかきみちもひろまり侍る也。又日吉の行幸はじめてせさせ給ひて、法花經おもくあがめさせ給ふ。かのみちひろまる所を、おもくせさせ給ふ事は、まことにみのりをもてなさせ給ふにこそはべるなれ。ひえの明神は、法花經まもり給ふ神におはします。ふかきみのりをまもり給ふ神におはすれば、うごきなくまもり給はんがために、世の中の人をもひろくめぐみ、しるしをもきはめ、ほどこしたまふなるべし。石清水の行幸、はじめてせさせ給ひけるに、物みぐるまどもの、かな物うちたるを御らんじて、みこしとゞめさせ給ひて、ぬかせ給ひ ける、御めのとの車より、いかでか我が君のみゆきに、この車ばかりはゆるされ侍らざらむと、聞こえければこのよしをやそうしけむ。そればかりぞ、ぬかれ侍らざりけるとかや。賀茂のみゆきには、かなものぬきたるあとある車どもぞ、たちならびて侍りける。大極殿、さきのみかどの御とき、火事侍りしのち、十年すぐるまで侍りしに、くらゐにつかせ給ひて、いつしかつくりはじめさせ給ひて、よとせといふに、つくりたてさせ給ひにしかば、わたらせ給ひてよろこびの詩などつくられ侍りけり。よろづの事むかしにもはぢず、おこなはせ給ひて、山のあらし、枝もならさぬ御世なれば、雲ゐにてちとせをもすぐさせ給ふべかりしを、世の中さだまりて、心やすくやおぼしめしけん。又たかき雲のうへにて、世の事もおぼつかなく、ふかき宮の中は、よを治めさせ給ふも、わづらひおほく、いますこし、おりゐのみかどとて、御心のまゝにとやおぼしめしけむ。位におはします事、よとせありて、白河の御かど、春宮におはしましゝに、ゆづり申させ給ひき。御母女院御むすめの一品の宮など、具したてまつらせ給ひて、すみのえにまうでさせ給ふとて、
住よしの神もうれしと思ふらんむなしき船をさしてきたれば 、 とよませ給へる、みかどの御うたとおぼえて、いとおもしろくも聞こえ侍る御製なるべし。おりゐのみかどにて、ひさしくもおはしまさば、いかばかりめでたくも侍るべかりしに、つぎのとしかくれさせ給ひにし、世にくちをしきとは申せども、くらゐの御時、よろづしたゝめおかせ給ひて、東宮にくらゐゆづり申させ給ひて、かくれさせ給ひぬれば、いまはかくてと、おぼしけるなるべし。ある人の夢に、こと国のそこなはれたるをなほさんとて、このくにをば、さらせ給ふとみたる事も侍りけり。又嵯峨に世をのがれて、こもりゐたる人の夢に、がくのこゑそらに聞こえて、むらさきの雲たなびきたりけるを、何事ぞとたづねければ、院の仏のみくにゝ、むまれさせ給ふとみたりけるに、院かくれさせ給ひぬと、世の中に聞こえけるにぞ、まさしきゆめと、たのみはべりけるとなむ。