今鏡 - 10 みのりのし

むかしみこの宮におはしましゝ時より、のりのみちをもふかくしろしめされけり。勝範座主といふ人、参り給へりけるに、真言止観かねまなびたらん僧の、俗のふみも心得たらん、一人たてまつれ。さるべき僧のおのづからたのみたるがなきに、とおほせられければ、顯密かねたるは、つねの事にてあまた侍り。からの文の心しりたる物こそ ありがたく侍れ。さるにても、たづねて申し侍らんとてかへりて薬智といふ僧をぞ奉られけるに、わざととりつくろひて、車などをもかされざりけるにや。かりばかまにのりたる僧の、座主のもとよりとて、まゐりたりければ、めしよせて、みすごしにたいめせさせ給ひけるに、まきゑの御すゞりのはこのふたに、止観の一のまきをおきて、さしいださせ給ひて、よませてとはせ給ひければ、あきらかにときゝかせまゐらせけり。眞言の事は、ふみはなくてたゞとはせ給ひければ、ことの有さま、又申しのべなどしけり。そのゝち、俗の文のことを、おほせられければ、法文にあはせつゝ、それもあへしらひ申しけり。すゑつかたに、極楽と兜率と、いづれをかねがふと、の給はせければ、いづれをものぞみかけ侍らず。たゞ日ごとに法花經一部兩界などおこなひ侍るを、おこたらでみろくの世までし侍らばやと思ひ給へて、大鬼王の、いのちながきにて、おこなひこの定にしつゝ侍らんとぞねがひ侍るとぞ申しける。須弥山のほとりに、しかある鬼のおこなひなどするありとみゆる經の侍るとぞ、のちにたれとかや申され侍りける。鬼は化生のものなれば、むまれて程なくおこなひなどしつきて、おこたるまじき心に申しけるとぞ。さて又おほせられけるは、御いのりなど、とりたててせんこともかなひがたければ、さしたることもおほせられつけず。たゞ心にかけて、おこなひのついでにいのりて、おだやかにたもたん事を、心にかくべきなりとぞ、の給はせける。くらゐにつかせ給ひて、たづねさせ給ひければ、薬智は身まかりにけり。弟子なりける法師をぞ、僧綱になさせ給ひける。おほうへの法橋〈 顕耀 〉とかいひけるとなん。春宮におはしましける時、よのへだておほくおはしましければ、あやうくおぼしけるに、検非違使の別當にて、経成といひし人、なほしにかしわばさみにて、やなぐひおひて中門の廊にゐたりける日は、いかなることのいできぬるぞとて、宮のうちの女房よりはじめて、かくれさわぎけるとかや。おはしましける所は、二条東洞院なりければ、そのわたりを、いくさのうちめぐりて、つゝみたりければ、かゝる事こそ侍れなど申しあへりける程に、別當のまゐりたりければ、東宮も御なほしたてまつりなどして、御よういありけるに、別當検非違使めして、をかしの者はめしとりたりやと、とはれければ、すでにめして侍りと、いひければこそ、ともかくも申さで、まかりいでられけれ。おもくあやまちけるものおはしますちかきあたりにこもりゐたりければ、うちつゝみたりけるに、もし春宮ににげいる事もやあるとて、まゐりたりけり。かやうにのみあやぶまれ給ひて、東宮をもすてられやせさせ給はんずらんと おもほしけるに、殿上人にて衛門権佐ゆきちかときこえし人の相よくする、おぼえありて、いかにもあめのしたしろしめすべきよし申しけるかひありて、かくならびなくぞおはしましゝ。このみかどの御母陽明門院と申すは、三条院の御むすめなり。後朱雀院、東宮の御時より御息所におはしまして、このみかどをば、廿二にてうみたてまつらせ給へり。長元十年二月三日、皇后宮にたち給ふ。御とし廿五、其の時江侍従たゝせ給ふべきときゝて、
  むらさきの雲のよそなる身なれどもたつと聞くこそうれしかりけれ
となんよめりける。寛徳二年七月廿一日、御ぐしおろさせ給ふ。治暦二年二月、陽明門院ときこえさせ給ふ。御哥などこそ、いとやさしくみえ侍るめれ。後朱雀院にたてまつらせ給ふ、
  いまはたゞ雲井の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知れず
などよませ給へる。むかしにはぢぬ御歌にこそはべるめれ。この女院の御母、皇太后宮妍子と申すは、御堂の入道殿の第二の御むすめなり。