今鏡 - 44 苔の衣

のちの二条殿の御子には、ふけの入道おほきおとゞ、その御おとうとにて、宰相中将家政、少納言家隆とておはしき。たじまのかみ良綱といひしが、むすめのはらにおはす。その宰相の御心ばへのきはだがにおはしけるにや。三条のあし宰相とぞ、人は申し侍りし。その御子には、あきたかの中納言のむすめのはらにおはせし、まさのりの中納言と申しし、身の御ざえひろくおはしける。つかさをもかへしたてまつり給ひて、かしらおろして、かうやにおはすときゝ侍りし、その御子にて、少将ふたりおはすなる、さきのみまさかのかみあきよしときこえしが、むすめのはらにやおはすらん。おとうとの少将きんまさときこえ給ふ、二条のみかどかくれさせ給ひて、世をはかなくおもほしとりて、高野山にのぼりて、かしらおろしてすみ給ふなれば、御おやの中納言も、それにひかれて、ふかきやまにも、すみたまへるなるべし。むかしこそわかき近衛のすけなど、世をのがれて山にすみ給ふとは、ふるき物がたりにもきこえ侍れ。またにこれこそあはれにかなしく、花山僧正の、ふかくさの御とき、蔵人頭にておはしけるが、よるひるつかうまつりて、りやうあんになりにければかなしびにたへず。御ぐしおろし給ひて苔のころもかはきがたく、入道中納言、後一条の御いみに、みかどをこひたてまつりて、よをそむきて、ふかきやまにすみ給ひけんにも、おくれぬあはれさにこそきこえ給ふめれ。むかしはいかばかりかは、かやうの人きこえ給ひし、九条殿の御子、高光少将、はじめはよかはにすみ給ひてたゞかばかりぞえだにのこれる。などいふ御うたきこえ侍りき。後には多武峯におはしき。又少将時叙ときこえ給ひし源氏の、一條のおとゞの御子、大原の御むろなどきこえて、やんごとなき真言師おはしき。又むらかみの兵部卿致平のみこの、なりのぶの中将、又堀川関白のうまごにやおはしけん。重家の少将とて、左大臣のひとりごにおはせし、もろともに仏道にひとつ御心に、ちぎり申し給ひて、三井寺の慶祚あざりのむろにおはして、よをそむきなんと、のたまひければなだかくおはする君だちにおはするに、びんなく侍りなんどいなび申しけれど、かねて御ぐしをきりておはしければ慶祚あざり、ゆるしきこえてけり。てる中将、ひかる少将など申しけるとかや。中将は廿三、いまひとりは廿五におはしけるとかや。行成大納言 の御夢に、重家のせうそことて、世をそむきなんどいふこと、のたまへりけるを、御堂のおとゞの御もとにおはしあひて、かゝる夢こそみ侍つれと、かたりきこえ給ひければ少将うちわらひて、まさしき御夢に侍り。しか思ふなどのたまはせける。つぎの夜、てらの大阿闍梨房へおはしたりけるとなん。としごろの御心ざしのうへに、ときの一の人の、わづらひ給ふだに、人もたゆむことおほく、よのたのみなきやうに、おぼえたまふことの、心ぼそくおぼえたまへて、さばかりをしかるべき君だちの、その御としのほどにおもほしとり、おこなひすまし給へりし、あはれなどいふもことも、よろしかりしことぞかし。このことを、又人の申し侍りしは、齋信公任俊賢行成ときこえ給ひし大納言たち、陣の座にて、よのさだめなどしたまひけるを、たちきゝたまひて、くらゐたかくのぼらんとおもふは、みのはぢをしらぬにこそありけれ。かやうに、のちのよをぞ思ひとるべかりけるなど思て、いでたまひける夜、しげいへの少将、御おやの大臣殿にいとま申し給ひけるを、おほかたとゞめらるべきけしきもなかりければえとゞめ給はざりけるともきこえ侍りき。行成大納言の御日記には、さきに申しつるやうにぞはべるなる。これはこと人のかたりはべりし也。四条大納言公任の御哥など侍りしかとよ。御集などにはみえ侍らん。又いひむろの入道中納言の御子、成房の中将の君も、おやの中納言のおなじふかきたにゝいつゝのむろならべて、おこなひ給ひしぞかし。義懐の中納言、惟成の弁、このふたりは花山院のをり、かしらおろし給へりき。四条の大納言の御哥、弁の大とくのもとに、
  さゞなみやしがのうら風いかばかり心のうちのすずしかるらん
ときこえ侍りしむかしこそさかりなる人の、かやうなるはきこえ給ひしか。ちかきよには、かゝる人もきこえたまはぬを、このきんふさの少将こそ、あはれにかなしくきこえたまへ。