とばのみかど位の御ときより、まゐりたまへりしきさきは、御子たちあまたうみたてまつりて、くらゐおりさせ給ひしかば、女院と申しておはしましき。法皇のやしなひたてまつりて、はたもてかしづき給ひしに、法皇おはしまさでのち、宇治のきさきまゐり給ひて、御かた<”いとましげなれども、院にはいづかたにも、うときやうにてのみ、おはしましゝに、しのびてまゐり給へる御かたおはしまして、やゝあさまつりごともおこたらせ給ふさまにて、夜がれさせ給ふ事なかるべし。いとやむ事なききはにはあらねど、中納言にて御おやはおはしけるに、母きたのかたは、源氏のほりかわのおとゞのむすめにおはしけるうへに、たぐひなくかしづきゝこえて、たゞ人にはえゆるさじと、もてあつかはれけるほどに、中納言かくれ侍りにけるのち、院にもとよりおぼしめしつゝやすぐし給ひけん。かのちゝの御いみなどすぎけるまゝに、しのびて御せうそこ有りて、かくれつゝまゐり給ひけるほどに、日にそへてたぐひなき御心ざしにて、ときめき給ふほどに、 たゞならぬ事さへおはしければ、御いのりおどろ<しきまでかた<”せさせ給ふほどに、女宮うみたてまつらせ給へれば、めづらしきをば、よろこびながら、男におはしまさぬをぞ、くちおしうおぼしめしたるに、又うみたてまつり給へるも、おなじさまなるは、まめやかにくちおしうおぼしめしたれど、さすがいかゞはせんにて、おはしますなるべし。あね宮をば、宇治のきさき、御子おはしまさぬにあはせて、おほきおとゞの御心とゞむとにや。このみやにむかへ申させたまひて、やしなひ申させ給ふ。のちにむまれさせ給へるをば、院にみづからやしなひたてまつり給ふ。御母ぎさき、しばしはあの御かたなど申して、おはしましし程に、三位のくらゐそへさせ給ひて、この御事をのみたぐひなき御もてなしなれば、よの人ならびなくみたてまつれるに、又たゞならぬ事おはしませば、このたびさへ、うちつゞかせ給はんも、くちをしきうへに、おぼしめしはからふ事やあらん。をとこ宮うみたてまつり給ふべき御いのり、いひしらずいとなませ給ふ。いはし水に般若會などいひて、山三井寺などの、やんごとなきちゑふかき僧どもまいりゐて、日ごろ法文のそこをきはめて、おこなはせ給ふ。帥中納言といふ人、御うしろみにて、みやこの事も大事なれど、かの宮に日ごろこもりて御かはりにや。日ごとに、そくたいにて御かうもよほし、おこなはれけるを、われも<とみのりときて、いのり申しけるなかに、忠春とかきこえしが、鼇海の西にはうみのみや、御産平安たのみあり。鳳城の南にはをとこ山、皇子誕生うたがひなし。と申したりけるとなんきゝ侍りし。ならの濟円といひし僧都、さきの日、この心をしたりけるに、めでたしなどきこえけるを、山に忠春巳講ときこえしが、のちの日、かやうにむすびなしていひける。とり<”にえもいはずなん、きこえ侍りける。はての日は、かんだちめひきつれまゐりて、御ふせとり、御かぐらなどせらる。かんだちめ歌もふえも、おの<心をつくして、清暑堂のやうなり。かやうにいひしらぬ御いのりども有りける程に、保延五年にや侍りけん。つちのとのひつじのとし五月十八日、よになくけうらなる玉のをのこ宮、うまれさせ給ひぬれば、院のうちさらなり。世の中もうごくまで、よろこびあへるさま、いはんかたなし。ひつじの時ばかりなれば、御いのりの僧、御前にまゐりゐたるに、おの<御むまひき、女房のよそひなどたまはす。仁和寺の法親王、山の座主など僧かう給はり、さま<”の賞ども有りて、まかで給ひぬ。御うぶやしなひ七夜など関白殿よりはじめてまゐり給ひて、御あそびどもあり。御ゆどのみなみおもてにしつらひて、つるうち五位六位しらがさねにたちならべる。 男宮におはしませば、文よみ式部大輔左中弁などいふはかせ、大外記とかいふもの、みやう經はかせとて、つるばみのころも、あけのころも、袖をつらねて、うちかはりつゝ、日ごとによむけしき、いはんかたなくめでたし。皇子の御いのりはじめてせさせ給ひ、なゝせの御はらへに、弁ゆげいのすけ、五位の蔵人など時にあへる七人、御ころもはことりてたつほど、おぼろげのかんだちめなども、あふべくもなかりけり。御めのとには、二条の関白の御子に、宰相中将といひし人のむすめ、くらのかみをとこにてあれば、えらばれてやしなひ奉るなるべし。日にそへて、めづらかなるちごの、御かたちなるにつけても、いかでかすがやかに、みこの宮にも、くらゐにもとおぼせども、きさきばらに、みこたちあまたおはしますを、さしこゆべきならねば、おもほしめしわづらふほどに、たうだいの御子になし奉り給ふ事いできて、みな月の廿六日、皇子内へいらせ給ふ。御ともにかんだちめ、殿上人えらびて、つねのみゆきにも心こと也。宮このうち、車もさりあへず、みるもの所もなき程になんはべりける。うちへいらせ給ふに、てぐるまの宣旨など、蔵人おほせつゝ、すでにまゐらせ給ひて、中宮を御母にて、まだ御子もうませ給はねば、めづらしくやしなひ申させたまふ。きさきのおやにては、関白殿おはしませば、皇子のおほぢにて、かた<”、みかどもきさきも、御子おはしまさぬに、院も御心ゆかせ給ひて、いと心よき事いできて、いつしか八月十七日、春宮にたゝせ給ふ。昭陽舎に御しつらひありて、わたらせ給ふ。大夫には堀川の大納言なり給ふ。御母のをぢにおはして、ことにえらばせ給へる也。御母女御のせんじかぶり給ふ。ねがひの御まゝなる。をのこ宮のうれしさも、いふばかりなきうへに、御みめも御心ばへも、いとうつくしう、この世のものにもあらず。さかしくおとなしくて、ひの御ざにことあるごとに、大夫のいだきまゐらせ給へるにも、なきなどし給はず。ゐさせ給ふほどには、御しとねのうへに、ひとりゐさせ給ひて、おとなのやうにおはしませば、かひ<”しくみたてまつる人も、よろこびの涙おさへがたかりけり。かくて同七年十二月七日、御とし三にて、位ゆづり申させ給ふ。ちかくは五などにてぞ、つかせ給へども、心もとなさにや。すがやかにゐさせ給ひぬ。御母女御殿、皇后宮にたゝせ給ふ。御とし廿五にや。御即位大嘗會など、心ことに世もなびきてなん。みえ侍りける。おとなにならせ給ふまゝに、御有さましかるべきさきのよの御ちぎりとみえ給へり。摂政殿の御おとゝの左のおとゞ、女御たてまつらせ給ひて、皇后宮にたち給ひぬ。なをたらずやおぼしめすらむ、院より 御さたせさせ給ひて、大宮の大納言のむすめ、関白殿の御子とて、きたの政所の、御せうとのむすめなれば、御子にし奉り給ふ。御かた<”はなはなと、いどみがほなるべし。とのゝあにおとうとの御なか、よくもおはしまさねば、宮もいとゞへだておほかるに、関白殿は、うちのひとつにて、ひとへに中宮のみのぼらせ給ひて、皇后宮の御かたをば、うとくおはしましける。かくてとしふるほどに御母ぎさき院号ありて、女院とておはしませば、院のきさきの女院、三人おはします。うちにはきさきふたりたち給ひて、いとかた<”、おほくおはすころなるべし。



