今鏡 - 17 春のしらべ

仁和寺の女院の御はらの一の御子は、位おりさせ給ひて、新院ときこえさせ給ひし。のちにさぬきにおはしましゝかば、さぬきのみかどとこそ聞えさせ給ふらめな。御母女院は中宮璋子と申しき。公實大納言の第三の女なり。鳥羽院の位におはしましゝとき、法皇の御むすめとて、まゐり給へりき。此みかど元永二年己亥五月十八日に、むまれさせ給へり。保安四年正月廿八日に、位につかせ給ふ。大治四年御元服せさせ給へり。御とし十一、法性寺のおほきおとゞの御むすめ、女御にまゐり給ひて、中宮にたち給ひし、皇嘉門院と申御事也。時の攝政の御女、きさきの宮におはします。白河院、鳥羽院、おやおほぢとておはします。御母女院ならぶ人なくておはしましゝかば、御せうとの侍従中納言さねたか、左衛門督みちすゑ、右衛門督さねゆき、さ兵衛督さねよしなど申して、みかどの御をぢにて、なほしゆるされて、つねにまゐり給ふ。そのきんだち近衛のすけにて、あさゆふさぶらひ給ふ。みかどの御心ばへたえたる事をつぎ、ふるきあとをゝこさむとおもほしめせり。をさなくおはしましけるより哥をこのませ給ひて、あさゆふさぶらふ人々に、かくしだいよませ、しそくの哥、かなまりうちてひゞきのうちによめなどさへおほせられて、つねは和哥の會ぞせさせ給ひける。さのみうち<にはやとて、花の宴せさせ給ひけるに、松にはるかなるよはひをちぎる。といふ題にてかんだちめ束帯にて、殿よりはじめて、まゐり給ひけり。まづ御あそびありて、關白殿ことひき給ふ、はなぞのゝおとゞ、そのとき右大臣とてびはひき給ふ。中院の大納言さうのふえ、右衛門佐季兼にはかに殿上ゆるされて、ひちりきつかうまつりけり、拍子は中御門大納言宗忠、ふえは成通さねひらなどの程にやおはしけん。すゑなりの中將、わごんなどとぞきゝ侍りし。序は堀川の大納言師頼ぞかき給ひける。講師は左大弁さねみつ、御製のはたれにか侍りけん。つねの御哥どもは、あさゆふの事なりしに、つねの御製などきこえ侍りしに、めづらしくありがたき御哥ども、おほくきこえ侍りき。遠く山のはなをたづぬといふ事を、
  たづねつる花のあたりに成りにけり匂ふにしるし春の山かぜ
などよませ給へりしは、よの末にありがたくとぞ人は申し侍りける。まだをさなくおはしましゝとき、
  こゝをこそ雲のうへとは思ひつれ高くも月のすみのぼる哉 。 などよませ給へりしより、かやうの御哥のみぞおほく侍るなる。これらおのづからつたへきこえ侍るにこそあれ。天承二年三月にや侍りけむ。臨時客せさせ給ひき。りんじのまつりのしがくのさまになん侍りける。清凉殿のみすおろして、まごひさしに御倚子たてゝ、みかど御なほしにておはします。きたのらうのたてしとみどりのけて、みすかけて、きさいの宮の女房うちいでのきぬさま<”にいだされたり。ふたまには中宮おはします。左右のまひ人かさねのよそひして、月華門にあつまれり。がくの行事しげみち、すゑなりの中將ぞうけ給はりてせられける。はるのしらべ、まづはふきいだして、はるのにはといふがくをなんそうしてまゐりける。みかどいでさせ給ひて、關白殿右のおとゞよりはじめて、すのこにさぶらひ給ふ。宰相はれいの事なれば、なかはしにおはしけり。しかるべきまひども、ふえのしなど賞かぶりける中に、なりみちの宰相中將とておはしける、わざとはるかに北のかたにめぐりて、もとまさといふ笛の師かぶり給はれる、よろこびいひにおはしたりけるこそ、いとやさしく侍りけれ。百首哥など人々によませさせ給ひけり。又撰集などせさせ給ふときこえ侍りき。かばかりこのませ給ふに、哥合はべらざりけるこそ、くちをしく侍りしか。ふるき事どもおこさんの御心ざしはおはしましながら、よを心にもえまかせさせ給はで、院の御まゝなれば、やすき事もかなはせ給はずなんおはしましける。哥よませ給ふにつけて、あさゆふさぶらはれける修理権太夫ゆきむね、三位せさせんとて、徳大寺のおとゞにつけて院にみせまゐらせよとて、
  我宿に一本たてるおきな草哀といかゞ思はざるべき
とぞよませ給ひけるときこえ侍りし。