今鏡 - 16 鳥羽の御賀

この院世をしらせ給ひて、ひさしくおはしましゝに、よろづの御まつりごと、御心のまゝなるに、中院のおとゞの、大將になり給ひしたび、人々あらそひて、さぬきの院、位におはしましゝかば、しぶらせ給ひしにこそ。このゑのみかど、東宮にてまなめしける夜、にはかに内へ御幸とて、殿上人せう<かぶりして、よにいりて、きたの陣に御車たてさせ給ひて、権大納言大將にまかりならん事、わざと申しうけに、まゐりたると申しいれさせ給へりしかば、さてこそやがてその夜なり給ひけれ。さねよしの大將、下臈なれども、もとよりなりゐ給へれば、かみにはくはへじと、おさへ申し給ふ。実ゆきの大納言、われこそ上臈なれば、ならめといひて、下臈ふたりにこえられんことゝ、内をふたりして、かた<”申し給へば、御おぢの事、さりがたくておさへさせ給ふなり。院にはさきに下臈をこして、なさせ給ひしかども、なほいとほしみいできて、なさんとおぼしめしかためけるに、うちのおさへさせ給へば、としごろはかゝることもなきに、いと心よからずおぼしめして、みゆきあるなりけり。とかく申させ給ひ、めしておほせをくだされなどする程に、御車にて、春の夜あけなんとす。といふ朗詠、又十方仏土の中には、などいふ文を詠ぜさせ給ひて、佛のみなたび<となへさせ給ひける、きく人みな、なみだぐましくぞ思あへりけるとなむきこえ侍りし。かくてつぎのとし御ぐしおろさせ給ひき。御とし四十にだにみたせ給はねども、としごろの御ほいも、又つゝしみのとしにて、年比は御随身なども、とゞめさせ給ひて、ぐせさせ給はねども、白河のおほゐのみかどどのゝむかひに、御堂つくらせ給ひて、くやうせさせ給ふに、兵仗 かへし給はらせ給ひて、めづらしく太上天皇の御ふるまひなり。うちつゞきやはたかもなど御幸ありて、三月十日ぞ鳥羽殿にて御ぐしおろさせ給ふ。すこしも御なやみもなくて、かくおもほしたつ事を、よの人なみだぐましくぞ思ひあへる。御名は空覚とぞきこえさせ給ひし。五十日御仏事とてせさせ給ふほど、おほぢにありくいぬや、きつみてありく車うしなどまでやしなはせ給ひ、御堂の池どものいをにも、庭のすゞめからすなどかはせ給ふ。山々寺々の僧にゆあむし、御ふせなどはいひしらず、たゞのをりも、かやうの御くどくは、つねの御いとなみなり。人のたてまつるもの、おほくは僧のふせになんなりける。おはしますあたり、あまたの御所どもには、いひしらぬ、あやにしき、からあや、からぎぬ、さま<”のたから物、ところもなきまでぞ、おきめでられ侍りけるを、御ふせにせさせ給へば、こむよの御功徳いかばかりか侍らん。白河院はおはしますところ、きら<とはきのごひて、たゞうちの見參とて、かみやかみにかきたる文の、ひごとにまゐらするばかりを、みづしにとりおかせ給ひて、さらぬ物は御あたりにみゆるものなかりけり。ましてたちぬはぬ物などは、御前にとりいださるゝことなくて、かたしはぶきうちせさせ給ひて、たゞひとゝころおはしまして、近習の上臈下臈などを、とり<”めしつかひつゝおはしましける。おの<御ありさまかはらせ給ひてなんきこえ侍りし。仁平二年三月七日、このゑのみかど、鳥羽院にみゆきせさせ給ひて、法皇の五十の御賀せさせ給ひき。等身の御仏、壽命經もゝまき、たまのかたちをみがき、こがねのもじになむありける。僧はむそぢのかず、ひきつらなりて、仏をほめたてまつり、まひ人はちかきまぼりのつかさ、雲のうへ人あをいろのわきあけに、柳さくらのしたがさね、ひらやなぐひのすいしやうのはず、日のひかりにかゞやきあへり。つぎの日も、なほとゞまらせ給ひて、法皇をがみたてまつり給ふ。さま<”のそなへ共、庭もせにつらねて、たてまつらせたまふ。池のふね、はるのしらべとゝのへて、みぎはにこぎよせて、おの<おりて、左右のまひの袖ふりき。青海波、左のおとゞの御子、右大將のまごの中將の公達まひ給ふ。はてには、左大將の御子とて、胡飲酒、わらはまひし給ふ。ふるきあと、いへのことなれば、かづかり給ふ御ぞ、ちゝのおとゞとりて、袖ふり給ひて、庭におりて、よろこび申のやうに、さらにはいし給ふに。ゆふひのかげにくれなゐのいろかゞやきあへり。そのわかぎみは、まことには御わらは名、くま君とて、前中納言もろなかのこを大將殿の子にし給へるとぞ。このわかぎみのはゝは、鳥羽院の御子たち、うみたてまつられたる人とぞ、きゝたてまつりし。かやうにはなやかに侍りしほどに、 なかふたとせばかりやへだて侍りけん。近衛のみかど、かくれさせ給ひしかば、おぼしめしなげきて、鳥羽にこもりゐさせ給ひて、としのはじめにも、もんろうなどさして、人もまゐらざりき。御とし五十四までぞ、おはしましける。御母贈皇太后宮は、承徳二年十一月に内にまゐり給ひて、康和五年正月に、このみかどうみおきたてまつりて、かくれさせ給ひにしかば、きさきおくりたてまつりたまへり。