この御時ぞ、むかしのあとをおこさせ給ふ事はおほく侍りし。人のつかさなどなさせ給ふ事も、よしありて、たはやすくもなさせたまはざりけり。六条の修理太夫顯季といひし人、よおぼえありておはせしに、敦光といひしはかせの、など殿は宰相にはならせ給はぬぞ。宰相になるみちはなゝつ侍るなり。中に三位におはするめり。又いつくに、をさめたる人も、なるとこそはみえ侍れといひければ、あきすゑも、さおもひて、御氣色 とりたりしかば、それも物かくうへの事也と、おほせられしかば、申すにもおよばでやみにきとぞいはれ侍りける。又顯隆の中納言といひし人、よにはよるの關白などきこえしも、弁になさんと思ふに、詩つくらではいかゞならん。四韻詩つくるものこそ弁にはなれと、おほせられければ、おどろきてこのみなどせられけり。ことにあきらかにおはしまして、はかなき事をも、はえ<”しくかんぜさせ給ひ、やすき事をも、きびしくなんおはしましける。いづれの山とか。御いのりのしやうおこなはんとおぼされけるに、たゞ御ふせばかり給はんは、ねんごろにおぼしめすほいなかるべし。あざりなどよせおかんこそかひあるべきに、さすがさせる事なくて、さる事もたはやすかるべしと、おぼしわづらはせ給へるを、あきたかの中納言しか侍らは、たゞこのたび阿闍梨の宣旨をくださせ給ひて、ながくよらせらるゝ事は、なくて候へかしと、申されければ、まことにしかこそあるべかりけれ。おのれなからましかば、我いかゞせましとぞ、かひ<”しくかんぜさせ給ひける。そのこのあきよりといひし中納言をも、夢に手をひかれてゆくとみたりし物をなどおほせられて、ことの外におもほしめせりける人にて、ふみのはこなどひきさげなどする事をも、下らうなどめして、もたせさせ給ふなど、おもくおもほしめせりけるに、五位藏人にて、ぢもくの目録とかそうせられけるに、御らんじて、あらゝかにさかせ給ひて、かへしたびければ、なに事にかと、おそれ思ひて、まかりいでゝ、そのゝち父の中納言まゐりたりけるにぞ、大外記もろとをは、津の國の公文も、まだかむがへぬものをば、いかで目録にいれて、たてまつりけるぞと、おほせられなどして、さやうの事と、かくなんおはしましける。法文などをもまことしくならはせ給ひけるにこそ。良眞座主に、六十巻といひて、法花経の心とける文うけさせ給へりけるに、西京にこもりゐ給ひて、ひえの山の大衆のゆるさゞりければ、さてゐ給へりける所、とぶらはせ給ひけり。西院のほとけ、をがませ給ふついでとてぞ、御幸ありける。みのりのためも、人のためも、面目ありけるとなんきゝ侍りし。金泥の一切経かゝせ給へるももろこしにも、たぐひすくなくやときこえし。そのゝちこそ、このくにゝも、あまたきこえ侍れ。この院のしはじめさせ給へるなり。又いきとしいけるものゝいのちをすくはせ給ひて、かくれさせ給ふまでおはしましき。さ月のさやまに、ともしするしづのをもなく、秋の夕ぐれうらにつりするあまもたえにき。おのづからあみなどもちたるあまのとまやもあれば、とりいだしてたぐなはのゝこるもなくけぶりとなりぬ。もたる ぬしはいひしらぬめどもみて、つみをかぶる事かずなし。神のみくりやばかりぞゆるされて、かたのやうにそなへて、そのほかは、殿上のだいばんなども六さいにかはる事なかりけり。位におはしましゝ時は、中宮の御事なげかせ給ひて、おほくのみだうどもつくらせ給ひき。院ののちは、その御むすめの郁芳門院かくれさせ給へりしこそ、かぎりなくなげかせ給ひて、御ぐしもおろさせ給ひしぞかし。四十五六の程にや、おはしましけん。御なげきのあまりに、世をばのがれさせ給へりしかども、御受戒などはきこえさせ給はで、仏道の御名などもおはしまさゞりけるにや。教王房ときこえし山の座主、御いのりのさいもんに、御名の事申されけるに、いまだつかぬとおほせられければ、その心をえはべりてこそ、申しあげ侍らめと申されけるとかや。そのゝちひさしくよををさめさせ給ひしほどに、七月七日にはかに御心ちそこなはせ給ひて、御霍乱などきこえしほどに、月日もへさせ給はで、やがてかくれさせ給ひにしかば、そらのけしきも、つねにはかはりて、雨風のおともおどろ<しく、日をかさねてよのなげきもうちそへたる心ちして侍りき。あさましき心のうちにも、すき<”しかりし人にて、平氏の刑部卿忠盛ときこえし、そのをりなにのかみとか申しけん。そのうたとてつたへ聞侍りし、
又もこん秋をまつべき七夕のわかるゝだにもいかゞ恋しき。 とかや。鳥羽院、はなぞのゝおとゞ、攝政殿などの、わかき御すがたに御ぞどもそめさせ給ひて、御いみのほど、仏の道のこと、ゝぶらひ申させ給ふ。いづれの程に、たれかよませ給ひけるとかや。
いかにしてきえにし秋のしら露をはちすの上の玉とみがゝん 。 といふ御哥侍りけるとなん。鳥羽殿は、この法皇のつくらせ給へれば、さやうにや申さんと、おもへりしかども、白河にもかた<”御所ども侍りしかは、白河院とぞさだめまゐらせ侍りける。 このみかどの御母は、春宮のみやすどころとて、うせさせ給へれば、延久三年五月十八日、従二位おくりたてまつらせ給ふ。位につかせ給ひて、同五年五月六日、皇后宮おくりたてまつらせ給ふ。國忌みさゝきなどおかれて、おなじき日、よしのぶの大納言殿、おほきおとゞ、おほきひとつのくらゐおくらせ給ふ。御息所の御母、藤原祕子と申ししにも、おおきひとつの位をおくり給ふ、これはきびなかのつかさ、知光のぬしのむすめなり。



