又ありし人の、まことにや。むかしの人のつくり給へる、源氏の物がたりに、さのみかたもなきことのなよび艶なるを、もしほ草かきあつめたまへるによりて、のちのよのけぶりとのみ、きこえ給ふこそ、えんにえならぬつまなれども、あぢきなく、とぶらひきこえまほしくなどいへば、返事には、まことによの中にはかくのみ申し侍れど、ことわりしりたる人の侍りしは、やまとにも、もろこしにも、ふみつくり人の心をゆかし、くらき心をみちびくは、つねのことなり。妄語などいふべきにはあらず。わが身になきことをありがほに、げに<といひて、人にわろきみを、よしとおもはせなどするこそ、そらごとなどはいひて、つみうることにてはあれ。これはあらましことなどや、いふべからん。綺語とも、雑穢語などはいふとも、さまでふかきつみには、あらずやあらん。いきとしいけるものゝいのちをうしなひ、あるとしある人の、たからをうばひとりなどする、ふかきつみあるも、ならくのそこにしづむらめども、いかなるむくいありなどきこゆることもなきに、これはかへりて、あやしくもおぼゆべき事なるべし。人の心つけんことは、功徳とこそなるべけれ。なさけをかけ、艶ならんによりては、輪廻のごふとはなるとも、ならくにしづむほどのことやは侍らん。このよのことだに、しりがたく侍れど、もろこしに、白楽天と申したる人は、なゝそぢの、まき物をつくりて、ことばをいろへ、たとへをとりて人の心をすゝめ給ふなどきこえ給ふも、文珠の化身とこそは申すめれ。仏も譬喩經などいひて、なきことをつくりいだし給ひて、ときおき給へるは、虚妄ならずとこそは侍るなれ。女の御身にて、さばかりのことを、つくり給へるは、たゞ人にはおはせぬやうもや侍らん。妙音観音など申す、やんごとなき、ひじりたちの、女になりたまひて、のりをときてこそ、人をみちびき給ふなれといへば、ともにぐしたる、わらはのきゝていふやう、女になりて、みちびき給ふことは、浄徳夫人の、みかどをみちびきて、仏のみもとにすゝめなどし給ひ、勝鬘夫人の、おやにふみかはして、仏をほめたてまつりて、よの末までも、つたへなどし給ふこそ、普門の示現などもおぼえめ。これはをとこ女の、えんなることを、げに<とかきあつめて、人の心にしめさせん、なさけをのみ つくさむことは、いかゞはたふときみのりとも思ふべきといへば、まことにしかはあれども、ことざまの、なべてならぬ、めでたさのあまりに、おもひつゞけ侍れば、ものがたりなどいひて、ひとまき、ふたまきのふみにもあらず、六十帖などまでつくり給へるふみの、すこしあだにかたほなることもなくて、いまもむかしも、めでもてあそび、みかどきさきよりはじめて、えならずかきもち給ひて、御たからものとし給ふなどするも、よにたぐひなく、またつみふかくおはすると、よに申しあへるにつけても、中<あやしく、おぼえてこそ申し侍れ。つみふかきさまをもしめして、人に仏のみなをも、となへさせ、とぶらひきこえん人のために、みちびき給ふはしとなりぬべく、なさけある心ばへをしらせて、うきよにしづまんをも、よきみちに、ひきいれて、よのはかなき事をみせて、あしきみちをいだして、仏のみちにすゝむかたもなかるべきにあらず。そのありさま、おもひつゞけ侍るに、あるはわかれをいたみて、うばそくの戒をたもち、あるは女のいさぎよきみちをまもりて、いさめごとにたがはず、この世をすぐしなどしたまへるも、人のみならふ心もあるべし。又みかどのおぼえかぎりなくて、えならぬすぐせ、おはすれども、ゆめまぼろしのごとくにて、かくれ給へるなど、世のはかなきことをみん人、おもひしりぬべし。又みかどのくらゐをすてゝ、おとうとにゆづり給ひて、にし山のふもとに、すみ給ふなども、佛のみちに入りたまふ、ふかきみのりにも、かよふ御ありさまなり。提婆品にとかれ給へる、むかしの御かどの御ありさまも、おもひいでられさせたまふ。ひとへに、をとこ女のことのみやは侍る。おほかたは、智恵をはなれては、やみにまどへる心をひるがへすみちなし。まどひのふかきによりて、うきよのうみのそこひなきには、たゞよふわざなりとぞ、世親菩薩のつくり給へる文のはじめつかたにも、のたまはずなれば、ものゝ心をわきまへ、さとりのみちにむかひて、ほとけのみのりをひろむるたねとして、あらきこと葉も、なよびたることばも、第一義とかにも、かへしいれんは、仏の御心ざしなるべし。かくは申せども、にごりにしまぬ、法のみことならねば、つゆしもと、むすびおき給へる、ことの葉もおほく侍らん。のりのあさひによせて、たれも<、なさけおほく、おはしまさむ人は、もてあそばせたまはんにつけても、心にしめて、おぼさむによりても、とぶらひきこえたまはんぞ、いとゞふかきちぎりなるべきなど、いひつゞけはべるに、ゆくすゑもわすれて、なほきかまほしく、なごりおほく侍りしかども、日くれにしかば、たちわかれ侍りにき。いかでか又あひたてまつらんずる。こんよにうゑきのもとにほとけとなりて、これがやうにのりときて、 人々に、きかせたてまつらばやなど、申ししこそ、たゞ人ともおぼえ侍らざりしか。そのほどと申ししところ、たづねさせ侍りしかども、え又もあはでなん。人をつけて、たしかにみおかせでと、くやしくのみおぼえてこそ、すぎて侍れ。