このおとゞの御むすめ、俊忠中納言のむすめのはらに、四人おはすときこえ給ふ。おほいぎみはいまの皇后宮におはしますとぞ、この院の位の御時に、きさきにたち給ひし、御名は忻子と申すなるべし。そのつぎにひめぎみおはしき。きさきふたりの中にておぼろげの御ふるまひあるまじ。ほとけのみちにこそは、いらせ給はめと、こおほい殿のたまはせければそれにたがはず、わかくおはすなるに、御ぐしおろし給ひたるときゝ侍る、いとあはれに、この御ことをたれがよみ給へるとかや。
みやぎのゝ秋の野中のをみなへしなべての花にまじるべきかは
とぞきゝ侍りし。まことにいとありがたく、ちぎりおき給ふ共、そのまゝにおぼしなり給ふ、いと<ありがたくものし給ふ御心なるべし。三の君は宇治の左のおとゞのきたのかたの、ちゝおとゞの御いもうとにおはすれば、御こにしたてまつり給ひて、近衛の御かどの御とき、あねみやよりさきに、十一にてきさきにたち給へり。このゑのみかども此の宮も、そのかみまだをさなくおはしましゝほどに、九条のおほきおとゞの御むすめを、鳥羽院、女院などの御さたにて、女御にたてまつり給へり。法性寺のおとゞのきたのかたは、九条のおほきおとゞの御いもうとにおはすれば、御子とてうらうへより心をひとつにて、たてまつり給へりしに、宇治の左のおとゞ、としごろはあにの法性寺のおとゞよりも、よにあひ給へりしに、あまりにおはせしけにやさすがにひとつにもおしはり給はざりしに、いまゝゐり給ひたる中宮のみ、ひとつにおはしますことにて、ちゝの伊通のおとゞも大納言など申して、つねにさぶらひ給ふ。關白殿も宇治のおとゞも、心よからぬさまにてへだておほかりけるほどに、みかどもかくれさせ給ひ、左のおとゞもうせ給ひて、としふるほどに、二条のみかどの御時、あながちに御せうそこ有りければちゝおとゞにも、かた<”申しかへさせ給ひけれども、しのびたるさまにて、まゐらせたてまつり給へりけるに、むかしの御すまひもおなじさまにて、雲ゐの月も、ひかりかはらずおぼえさせ給ひければ、
思ひきやうき身ながらにめぐりきておなじ雲ゐの月をみんとは
とぞおもひかけず、つたへうけ給はりし。かやうにきこえさせ給ひしほどに、みかども又かくれさせ給ひて、よも心ぼそくおぼえさせ給ひけるに、れいならずおはしませばなどきこえて、御ぐしおろさせ給ひてける、御とし廿五六ばかりの御ほどに、おはし けるにやとぞきこえさせ給ひし。この宮なにごともえんなるかた、なさけおほくおはしまして、御てうつくしくかゝせ給ふ。ゑをさへなべてのふでだちにもあらずなん、おはしますなる。またほにいでゝことびはなどひかせ給ふことは、きこえさせ給はねど、すぐれたる人にもをとらせ給はず。ものゝねも、よくきゝしらせ給ひたるとかや。御せうとたちまゐり給ひたるにも、御丁おましなどこそあらめ。さぶらふ人々までよろづめやすく、もてつけたるさまにて、ひとまゐるとて、いまさらにだいばん所とかくひきつくろひ、御木丁おしいでなどせで、かねてよういやあらん。心にくゝぞおはしますなる。こ左のおとゞも中にとりわきて、御心につかせ給ふとてぞ御子にやしなひ申させ給ひける。かやうになさけおほく、おはしますことをやきかせ給ひけん。二条院の御時もあながちに御けしき侍りけるなるべし。この宮たち、おやの御子におはしませば、ことわりとは申しながら、なべてならぬ御すがたなんおはしますなる。たれもと申しながら、院の御あねにおはしますなる、女院こそすぐれて、おはしますさまは、ならぶ御かた<”かたくおはしますなるに、いまの皇后宮にや。いづれにかおはしますらん。まゐらせ給へりけるに、人のみくらへまゐらせけるこそ、とり<”にいとをかしく、みえさせ給ひけれ。女院はしろき御ぞ、十にあまりてかさなりたるに、きくのうつろひたるこうちぎ、しろきふたえおり物のうはぎたてまつりて、三尺のみき丁のうちにゐさせ給へりけるに、皇后宮はうへあかいろにて、したざまきなるはじもみぢの、十ばかりかさなりたるに、うはぎにおなじいろに、やがてこきゑびぞめのこうちぎのいろ<なるもみぢうちゝりたるふたえおり物たてまつりたりけるを、みまゐらせたる人のかたりけるとなん。さてこのおほいのみかどの右のおとゞのをのこ君は太郎にては三位中将と申しし、宮たちのおなじ御はらにおはする、大納言實定と申すなる。つかさもじゝ給ひて、こもり給へるとかや。さばかりの英雄におはするに、人をこそこえ給ふべきを、人にこえられ給ひければくらゐにかへてこえかへし給へる、いとことわりときこえ侍り。詩などもつくり給ひ、哥もよくよみ給ふとぞ、御こゑなどもうつくしうて、おやの御あとつぎ給ひて、御かぐらのひやうしなどもとり給ひ、いまやうなどもよくうたひ給ふなるべし。こもり給へるもあたらしくはべることかな。つぎに三位中将さねいへと申すなるは、蔵人頭より、宰相になり給ひたらんにも、中<まさりて、なべてならずきこえ侍り。やまとごとなどよくひきたまひ、御こゑもすぐれて、これもいまやうかぐら、うたひ給ふ ときこえ給ふ。この御おとうとに頭中将さねもりときこえ給ふも、やまとごとなどならひつたへたまへり。この君だち、みなざえなどもおはして、からやまとのふみなどつくり給ふ。御みめもむかしのにほひのこりて、このころすぐれ給へる御ありさまどもにおはすときこえ給ひ、又いづれの御はらにかおはすらん。やまに法眼とておはすときこえ給ふ。又院のひめみやうみたてまつり給へるひめぎみもおはすとぞ、まことやきたのかたの御はらにや。侍従とておはすなるは頭中将御子にし給ふとぞ、徳大寺のおとゞの二郎には、なかのみかどのみぎのおとゞの御むすめのはらに、公親宰相中将とておはしき。とくうせ給ひにき。つぎに一条の大納言公保と申すなる、左衛門督のひめ君、らうの御かたと申す御はら也。當時大納言におはすなり。ちゝおとゞに御みめはすこしに給へるとかや。おなじ御はらに公雲僧都とてやまにおはすなり。ことはらの御こ僧にて三井寺などにおはすとぞ、春宮の太夫のすゑの御こは民部卿季成と申しておはしき。あづまごとにてぞ御あそびにはまじり給ひけるときゝ侍りし。右京のかみ道家のむすめのはらにおはす。ふみのかたもならひ給へりけり。その御こに、左衛門督公光と申すなるこそ、ざえなどもおはして、詩つくり給ひ、哥もよみてよき人ときゝたてまつるに、これもさきの中納言などうけ給はるこそ、いかに侍るよの中にか。この御はゝ顕頼の民部卿のむすめとぞ、みめもことによきかんだちめにて、ちゝの大納言にはまさり給へりとぞ。きこえよくかぐらなどもうたひ給ふとか。これもゆゝしく、おほきなる人にて、御をぢのみちすゑ左衛門督の御たけに、いとをとり給はずとぞうけ給はる。すべてよき人にこそ、わかくても、てゝの世おぼえよりはことのほかに殿上にゆるされたる、このゑづかさにてぞおはしける。