今鏡 - 05 望月

よつぎもみかどの御ついでに、国母の御事申し侍れば、このみかどの御母ぎさきの御事、このついでに申し侍るべし。御年廿三におはしましゝ時、後一条院、後朱雀院、うちつゞきうみたてまつらせ給へり。つちみかどどのにて、後一条院うみたてまつらせ給へりし七夜の御あそびに、みすのうちより、出だされ侍りける、さかづきにそへられ侍りしうたは、むかしの御つぼねのよみたまへりし、
  めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世はめぐらめ
とぞおぼえ侍る。その女院は、十三より后におはしましき。一条院かくれさせ給ひて、後一条のみかど、をさなくおはしましけるに、なでしこの花をとらせ給ひければ、御母ぎさき、
  見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし心も知らぬなでしこの花
五節のころ、むかしを思ひいでゝ、殿上人参りて侍りけるに伊勢大輔、
  はやくみし山ゐの水のうすごほりうちとけざまはかはらざりけり
とぞよみて出だし侍りける。寛弘九年二月に、皇太后宮にあがらせ給ふ。御年廿五と聞こえさせ給ひき。後一条のみかど、位につかせ給ひて、寛仁二年正月に大皇太后宮にならせたまひき。万寿三年正月十九日に、御さまかへさせ給ふ。御とし卅九、御名は清浄覚と申しけり。きさきの御名とゞめさせ給ひて女院と聞こえさせ給ふ。としごとのつかさ位たまはらせ給ふ事は、おなじやうにかはり侍らざりけり。長暦三年五月七日、御ぐしおろさせ給ふ。あきもとの入道中納言、
  世をすてゝ宿を出でにし身なれども猶恋しきは昔なりけり
とよみて、この女院へたてまつり給へる御返事に、
  つかのまも戀しきことのなぐさまば二たび世をもそむかざらまし
とよませ給へる、はじめは御ぐしそがせ給ひて、のちにみなおろさせ給ふ心なるべし。かの中納言は後一条院の御おぼえの人におはしけるに、御いみにおはして、宮のうちに御となぶらもたてまつらず侍りければ、いかにとたづね給ひけるに、女官どもいまの内に参りて、かきともしする人もなし。などきゝ給ふに、いとゞかなしくてみかどのかくれさせ給ひて、六日といふに、かしらおろして、山ふかくこもり給へりけり。年卅七になんおはしける。きく人なみだをながさずといふ事なくなむ侍りける。花山の僧正 の、ふかくさのみかどの御いみに、御ぐしおろしたまひけんにも、おくれぬ御心なるべし。なほつきせずおもほしけるにこそとかなしく、御かへしもいとあはれに、御母ぎさき、さこそはおもほしけめとおぼえて、かの東北院は、この院の御願にて、ちゝおとゞのみだう、法成寺のかたはらにつくらせたまへり。山のかたち、池のすがた〔に〕もなべてならず。松のかげ、花のこずゑも、ほかにはすぐれてなんみえ侍りける。九月十三夜よりもち月のかげまで、仏のみかほもひかりそへられたまへり。御念仏はじまりけるほどに、かんだちめ、殿上人参りあつまりたまへるに、宇治のおほきおとゞの、朗詠はべりなんと、すゝめさせ給ひければ齊信の民部卿、としたけたるかんだちめにて、極楽尊を念じたてまつる事、一夜とうち出だし給ひけん、折ふしいかにめでたく侍りけん。齊名といふはかせのつくりたるが、いけるよに、いかにいみじく侍りけん。この世ならば、いまの人のつくりたる事も出だしたまはざらまし。殿上人しをに色のさしぬき、この御念仏よりこそ着始め給ひしか。この堂つちみかどのすゑにあたれば、上東門院と申す也。このゝち代々の女院の院号、かどの名聞こえはべるめり。陽明門も、このゑにあたりたれは、このれいによりてつかせ給へり。郁芳門、待賢門などは、おほゐのみかど、中のみかどに御所おはしまさねど、なぞらへてつかせたまへるとぞ聞こえ侍る。待賢門院の院号のさだめ侍りけるに、なぞらへてつかせ給ふならば、などさしこえて、郁芳門院とはつけたてまつりけるにか。など聞こえければ、あきたかの中納言といひし人の、この御れうにのこして、おかれけるにこそはべるめれ。と申されけるとかや。さてぞつかせ給ひにけるとなん。みかどの御前などにては、つちみかどこのゑなどは申さで、上東門のおほぢよりはいづかた、陽明門のおほぢよりはそなたなどぞ奏すなる。されば一條二条など申すにもおなじ心なるべし。この上東門院の御としは、八十七までおはしましき。