三とせの正月十九日、大皇太后宮、御さまかへさせたまひき。きさきの御名もとゞめさせ給ひて、上東門院と申しき。よそぢにだにまだみたせたまはぬに、いと心かしこく、世をのがれさせ給ふ。めでたくもあはれにも、聞こえさせ給ひき。大斎院と申ししは、選子内親王と聞こえさせ給ひし、この御事をきかせ給ひて、よみてたてまつらせ給へる御うた、
君はしもまことのみちに入りぬなり独やながきやみにまどはん
この斎院は、むらかみの皇后宮の、うみおきたてまつらせ給へりしぞかし。東三条殿の御いもうとなれば、この入道殿には、御をばにあたらせ給ふぞかし。なが月には中宮御さんと聞こえさせ給ひて、姫宮うみたてまつらせ給ふ。左衛門督かねたかと聞こえ給ひしが家をぞ、御うぶやにはせさせ給へりし。をとこ宮におはしまさぬは、くちをしけれ ど、御うぶやしなひなど心ことにいとめでたく、ことはりと申しながら、聞こえ侍りき。この姫宮は、後冷泉院のきさき、二条院と申しし御事なり。東宮にはじめてまゐらせ給ひけるころ、出羽の弁みたてまつりて、
春ごとの子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき
とぞよめりける。同四年正月には、上東門院にとしのはじめのみゆきありて、朝覲の御はいせさせたまひき。つねのところよりも、御すまゐありさま、いとはえ<”しく、からゑなどのやうに、山のいろ、水のみどり、こだちたて石などいとおもしろきに、くらゐにしたがへる色々の衣の袖、近衛司のひらやなぐひ、ひらをなど、めもあやなるに、きぬのいろまじはれるうちより、からのまひ、こまの舞人、左右かた<”に袖ふるほどなど所にはえておもしろしなども、こと葉もおよばずなん侍りける。しも月には入道おほきおとゞ御やまひ重らせ給ひて、千人の度者とかやいひて、法師になるべき人のかずの、ふみたまはらせ給ふと聞こえ侍りき。法成寺におはしませば、その御寺に行幸ありて、とぶらひたてまつらせ給ふ。御誦經御ふせなどさま<”聞こえ侍りき。東宮にも行啓せさせ給ふ。御むまご内東宮におはしませば、御やまひの折ふしにつけても、御さかえのめでたさ、むかしもかゝるたぐひやは侍りけん。しはすの四日に、入道殿かくれさせ給ひぬれば、としもかはりて、春のはじめのせちゑなどもとゞまりて、くらゐなどたまはすることも、ほど過ぎてぞ侍りける。長元二年きさらぎの二日、中宮、又ひめ宮うみたてまつらせ給へり。この姫宮は後三条院の、后におはします。二人のひめ宮たち、二代のみかどの后におはします、いとかひ<”しき御有様なり。六年しも月に、たかつかさ殿の七十の御賀せさせ給ふとて、女院中宮関白殿、うちのおほいどの、かた<”いとなませ給ひき。わらはまひなどいとうつくしくて、まだいはけなき御よはひどもに、から人の袖ふり給ふありさま、いとらうありて、いかばかりか侍りけん。又の日うちにめして、昨日のまひども御らんぜさせ給へり。まひ人雲のうへゆるさるゝ人々と聞こえ侍りき。舞の師もつかさ給はりて、このゑのまつりごと人など、くはへさせ給ひけりとなむ。かの御賀の屏風に、りんじきやくのところをあかぞめの衛門がよめる、
むらさきの袖をつらねてきたる哉春たつことは是ぞ嬉しき
又子の日かきたる所よめる哥も、いふに聞こえ侍りき。
よろづよのはじめに君がひかるれば子の日の松もうらやみやせん
おなじき九年、やよひの十日あまりのほどより、うへの御なやみと聞こえさせ給ひて、神々にみてぐらたてまつらせ給へるさま<”の御いのり、聞こえ侍りき。殿上人御つかひにて、左右の御むまなどひかれ侍りけり。御としみそぢにだに、いまひとつたらせ給はぬ、いとあたらし。されど廿年たもたせ給ふ、すゑの世にありがたく聞こえさせたまひき。まだおはしますありさまにて、御おとうとの東宮に、くらゐゆづり申させ給ふさまなりけり。のちの御事の、よそほしかるべきによりて、くらゐおりさせ給ふ心なるべし。をとこ御子のおはしまさぬぞくちをしき。いづれの秋にか侍りけん。菊の花ほしに似たりといふ題の御製、からの御ことのは聞こえ侍りき
司天記取葩稀色、分野望看露冷光
とか人のかたり侍りし。御ざえもかしこくおはしましけるにや。菩提樹院に、この御門の御ゑいおはしましけるを、出羽の弁がかよめりける。
いかにしてうつしとめけん雲井にてあかずかくれし月の光を
かの菩提樹院は、二条院の御だうなれば、御心ざしのあまりに、ちゝのみかどの御すがたをかきとゞめて、おきたてまつらせたまひけるなるべし。おもひやり参らするも、いとあはれにかなしくこそはべれ。