このみかどの御母、権中納言たかとしの御むすめのはらに、六条の右のおとゞの御むすめにおはしましゝ、大殿の御こにしたてまつりて、延久三年三月九日、御とし十五にて、白河院東宮におはしましゝ、御息所にまゐらせ給へり。同五年七月廿三日、女御ときこえ給ひて、四位の位給はり給ふ。承保元年六月廿日、きさきにたち給ふ。御とし十八におはしましき。十二月廿六日前坊うみたてまつらせ給ふ。三年四月五日、郁芳門院むまれさせ給ひて、そのゝち、二条の大ぎさきの宮、うみたてまつらせ給へり。御年廿三にて、このみかどはうみたてまつらせ給へり。應徳元年九月廿三日、三条の内裏にて、かくれさせ給ひにき。御とし廿八とぞきこえ給ひし。村上の御母、なしつぼにてうせ給ひてのち、内にてきさきかくれ給ふ事、これぞおはしましける。廿四日に備後守經成のぬしの四条高倉の家に、わたしたてまつりて、神な月の一日ぞ、とりべのにおくりたてまつり、けぶりとのぼり給ひにし。かなしさたとふべきかたなし。まだ卅にだにたらせ給はぬに、おほくの宮たちうみおきたてまつり給ひて、上の御おぼえたぐひもおはしまさぬに、はかなくかくれさせ給ひぬれば、世の中かきくらしたるやうなり。白河のみかどは位の御ときなれば、廢朝とて、三日はひの御ざのみすもおろされ、よのまつりごともなく、なげかせ給ふ事、からくにの李夫人楊貴妃などのたぐひになんきこえ侍りし。御なげきのあまりに、おほくの御堂御仏をぞつくりてとぶらひたてまつらせ給ひし。ひえの山のふもとに、円徳院ときこゆる御堂の御願文に、匡房中納言の、七夕のふかきちぎりによりて、驪山の雲に眺望する事なかれ。とこそかきて侍るなれ。いひむろには勝楽院とて御堂つくりて、又のとしのきさらぎに、くやうをせさせ給ひき。八月には法勝寺の内に、常行堂つくらせ給ひて、仁和寺入道宮して供養せさせ給ふ。同日醍醐にも円光院とてくやうせさせ給へり。九月十五日、白川の御寺にて御仏事せさせ給ふ。廿二日御正日に、同J御寺にておこなはせ給ふ。事にふれてかなしきこと、みたてまつる人まで、むねあかぬ時になんあるべき。あさなゆふなの御心ち、みかきのやなぎもいけのはちすも、むかしをこふるつまとぞなり侍りける。寛治元年しはすのころ、皇太后宮をおくりたてまつらせ給ふ。いにしへもいまも、 かゝるたぐひなんおはしましける。



